ともきちのローカル旅

最長片道切符の旅を完遂!7日目以降は写真挿入が不調のため、とりあえず文章のみ公開します。後々リライト予定

最長片道切符の旅(42日目)

 

9月16日(木)

 

今日は始発列車に乗る。始発列車には乗り慣れているものの眠いことは眠い。鹿児島本線都城まで走った後、吉都線という閑散路線に乗り換える。吉都線の乗客は時間帯も相まって私以外全員高校生だった。男子はおにぎりをむさぼり、女子はあぐらをかいて寝ている。少しカオスな雰囲気さえ感じられた。

途中の小林という駅でほとんどが降りた。吉都線の途中駅の中では大きく、近くに高校があるみたいだ。

 

少し寝ていたら吉松に着いた。駅前にはSLが保存されていた。

 

肥薩線の人吉方面は何年か前の九州豪雨によって橋梁が流されてしまって未だに不通になっている。最長片道切符のルートにはギリギリ含まれないため代行バスに乗る必要はない。肥薩線の隼人行きに乗って嘉例川という駅で降りた。嘉例川の木造駅舎は県内最古で登録有形文化財に指定されている。とても歴史を感じる駅舎で観光客が度々訪れる。猫もいて人慣れしている。

 

嘉例川でゆっくりして後続の隼人行きに乗って隼人でまた鹿児島本線に合流する。

 

今日は鹿児島中央で最長片道切符を用いての移動は終わりとなる。エキナカの黒豚のトンカツが食べられる店で昼食をとった。流石、黒豚は美味しい。

 

今日は30℃を超える暑さで冷たいものが食べたくなった。市電で天文館前まで連れていってもらい、「むじゃき」という店の白熊を食べた。かき氷だが、今まで食べたことがない食感のかき氷で上に乗ってるフルーツは甘かった。見た目は可愛く、量も多くて気に入った。

 

ホテルのチェックインを済ませ、荷物を置き、再び鹿児島中央駅に行った。

18時に鹿児島大学に通っている滋賀の友人と待ち合わせをしているからだ。

 

友人は日焼けしていて、いかにも南国の九州人らしい様相だった。

 

駅前の「五郎屋」で鹿児島ラーメンを奢ってもらい、色々な話をして楽しい時間はあっという間に過ぎた。彼は彼女ができたことないらしく、その話が1番驚いた。彼は言葉では説明できないけれどとにかく面白い。ここ数日は九州人と会話する機会がほとんどだったため、関西人の話のリズムに少し安心感を覚えた。

 

その後、コンビニで九州限定のポテチやアイスも奢ってもらい大変お世話になった。

 

彼は俳句やエッセイが好きで、彼なら今日のこの時間をどう表現するのか気になる。

最長片道切符の旅(41日目)

 

9月15日(水)

 

今日は贅沢する。特急にちりん9号のグリーン個室に乗車した。グリーン個室は4両編成は付いておらず、6両編成には付いている。特急にちりん9号は6両編成での運転となる。私は、最大4人で使える個室を1人で貸し切るというブルジョワを発揮した。とはいえ、大分から宮崎まで5000円弱買い足せば個室でのんびりできるのだから安いと思う。私の金銭感覚はおかしいだろうか。

 

楽しかった大分を去り、これから3時間の旅が始まる。グリーン個室には普通の座席と少なくとも4人座れる所があり、畳んだり広げたりできるテーブルも付いている。内装も高級感があり、優越感に浸ることができる。

4人掛けの席では寝転がることもできる。私はこの3時間の内の半分も寝転がって過ごした。

まるで寝台特急のようである。

昔、夜行列車で寝た記憶が蘇る。そして、その余韻に再び浸った。

 

佐伯を過ぎてからは電波もほとんど届かない山深い所を列車は進んで行く。民家もほんの僅かあるくらいで周りは何もない。

 

佐伯ー延岡間は普通列車が1日1.5往復という超閑散区間となっている。特急列車はある程度本数はあるのだが、普通列車はお粗末だ。

 

途中の宗太郎を過ぎた辺りで宮崎県へと入る。

延岡に着くと、ここからは民家がたくさんあるので少し安心する。延岡はかつて高千穂線という絶景路線が伸びていたそうだが、廃線になってしまった。

 

延岡から1時間で宮崎に着いた。3時間はグリーン個室で移動すると体感で1時間もかかっていないように思えた。それだけ快適で、素晴らしかった。また乗りたいと思うし、今度は博多ー宮崎空港を乗り通せる特急にちりんシーガイアのグリーン個室に乗車して6時間の旅を楽しんでみたいなと思う。

 

宮崎はあいにくの雨で気が滅入ってしまったので特に名物は食べなかった。チキン南蛮の店も定休日でやっていなかった。

 

ホテルの近くに銀だこがあったのでたこ焼きを食べて腹を膨らませた。

 

それにしても宮崎は暑い。駅前にはヤシの木かどうかは分からないが、いかにも南国の木らしいものが目に映る。南国へ来た実感が湧いた。

最長片道切符の旅(40日目)

 

9月14日(火)

 

今日は最長片道切符を使っての移動は無く、別途乗車券を買って大分を観光する。昨日は別府温泉を楽しんだが、今日は由布院温泉を楽しむ。由布院までは1時間以上もかかる。その代わり景色の良い所を進んでいく。雨が降っていて観光気分にはならないけれど、温泉だけは入りたいと思った。

 

駅から徒歩5分の所にある「乙丸温泉」で入浴した。200円で入れるのだからありがたい。地元の人ばかりで私以外に観光客らしい人はいなかった。皆、浴場のドアを開けるたびに「おはようございます」と挨拶をしている。地元色が強く、穴場の温泉という感じがして、私は好きだ。

別府温泉は熱かったが、この温泉に関してはさほど熱くなくて20分以上入れた。

 

温泉から上がった後は駅に向かう道の途中でプリンを売っている店を見つけたので入ってみた。温泉街にプリンはつきものだ。

 

由布院から大分に戻ってきた後は海地獄へ行くことにした。昨日訪れた別府まで戻り、バスに乗って海地獄を目指した。別府駅から海地獄まで30分弱かかる。

 

海地獄は最高98度の熱泉が噴き出しており、非常に見応えがある。そして色はコバルトブルーでまさに海地獄という名にふさわしい。

 

そして、温泉地で食べる温泉ゆでたまごも美味しかった。

 

バスで別府まで戻った後はまたまた大分に戻る。

 

17時に美容院の予約をしているから早めに大分に着いた。その美容院は「アルティスト」といってかの有名なYouTuberのスーツ氏が度々通っていることで知られている。私もせっかく大分に来るのだからそこで髪を切ってもらう。髪も相当伸びて私の厄介な癖毛が暴れている。だから、好都合である。

 

やはりスーツ氏の聖地ともあって全国からアルティストにやって来る人が後をたたないという。

 

私はお姉さんに髪を切ってもらい暴れん坊の癖毛はどこへやら。短くスッキリした。髪型も気に入った。流石スーツ氏が通う所とあってカットの技術が高いと感じた。

 

今日はお金を使い過ぎてしまった。まぁ、たまにはこんな日もあってもいいだろう。旅も残り少ないのでここでどんと使ってもさほど問題ではない。

 

今日は疲れた。いや、毎日疲れている。

寝ても疲れはあまりとれない。でも、楽しいからどうにだってなる。やっぱり私は旅が好きなのだろう。

 

大分に大満足してそっと眠りについた。

最長片道切符の旅(39日目)

9月13日(月)

 

西小倉からのんびり鈍行で日豊本線を南下していく。行橋や中津といった比較的大きな駅を過ぎて宇佐に着いた。宇佐は平仮名で表記すると「うさ」で、なんの変哲もない駅名だが、アルファベット表記にすると「USA」となる。急にアメリカにワープした感覚に陥って面白い。一方、周りの風景は当たり前だが日本の田舎風景でそのギャップがクスッと笑える。

 

駅に降りてみたものの、雨がしとしと降っていて特に観光する所も無いので、次の列車を調べたが、鈍行は1時間程待たないと来ない。しかし、20分程待てば特急ソニックがやって来るので窓口で自由席特急券を買った。特急ソニックに乗ってみたいと前から思っていたので好都合だ。しかも次の停車駅である杵築(きつき)までは310円で安い。

 

特急ソニックが入線するホームからは山が見え、その頂上付近には「USA」と書かれた看板がある。思わず目を奪われる。

 

そして、特急ソニックに乗り込んだ。座席と揺れはジェットコースターみたいな感じで楽しい。一瞬で虜になった。

 

杵築に着いてからは8分後に来る鈍行で別府を目指した。費用を最小限に抑えて効率良く乗り継げたことに嬉しさを感じた。

 

別府駅駅名標には温泉マークが描かれている。

 

駅からはどれくらい歩いただろうか。とにかく30分は歩いたように思う。ようやく「東洋軒」というとり天発祥の店に辿り着いた。そう、大分はとり天が有名なのである。

 

有名店なので平日にも関わらず開店後すぐに満席になった。

 

私は定番のとり天定食を注文した。唐揚げではなく本当に天ぷらのような食感で、衣も軽い。油はくどく無く控えめな味付けのとり天が後を引く美味しさ。これは文句の付けようがない。

 

店を後にして30分歩いて別府タワーに来た。外は雨で残念だが、温泉街という雰囲気は出ているのでこれはこれで趣がある。

 

受付の50代くらいの女性の方によれば来年から別府タワーはガラスの貼り替えなどのリニューアルを実行するらしい。この別府タワーは60歳を超えており、ガラスにも多数ヒビが入っている。ヒビからこの昭和の名タワーの歴史を感じる。リニューアル前の晩年の姿を目に焼き付けた。

 

 

次は別府温泉に入る。竹瓦温泉という所で入浴した。300円と安い。しかし、湯の温度が私にとっては相当高く、10分ももたなかった。

 

別府駅に戻り、15分程列車に揺られて今日の目的地である大分に到着した。

 

最長片道切符の旅(38日目)

 

9月12日(日)

 

本来の予定であれば門司港に寄り道して今日のうちに別府や大分まで行くということになっていた。しかし、大学の授業が少なくとも月末まで基本オンライン授業になったので、旅の延長を決定し、今日はのんびり小倉で宿泊することにした。どのくらい延長するかは確定はしていないが、4〜6日程延長になるのではないかと思う。

 

下関からJR九州国鉄車両が迎えに来て九州に連れて行ってくれる。これに乗れば本州の旅は終わり、新たに九州の旅がスタートする。ちょっぴり寂しい気持ちのまま席に座り、発車時刻になると扉が閉まった。もうこの旅において本州に後戻りはできない。もし、安全やマナーを無視すればこの車両は窓が開くのでそこから飛び降りる選択肢はある。もちろんそんなことはしないが。

 

下関を発車してから2分程だろうか。列車は関門トンネルに突入した。「ゴォォォー」と音を立てながら九州へ繋がるトンネル内を駆け抜ける。外の光が見えてついに旅の38日目にして九州に上陸した。

 

私は小学生の頃に博多に訪れて以来の九州で、さっきとは打って変わって高揚感に包まれた。

 

門司に到着してから1度改札を出て門司港まで新たに切符を買った。門司から門司港までは最長片道切符のルート外のため別途乗車券を買う必要があるのだ。

 

門司港はレトロな街として有名でこの日も観光客が多かった。おそらくコロナ禍でなければもっといるのであろう。

 

レトロな建物や関門大橋、港なんかを眺めて黄昏ていた。普段はイけていない平凡な大学生の私だが、門司港で黄昏ている様は趣があるように自覚した。

 

ベンチでしばらく腰掛けていると、メロウな音楽が流れた。どうやらこれから橋の開閉を行うらしい。先程まで歩行者が歩いていた橋がメロウな音楽と共に開いていく。背景の建物とも相まって「いとをかし」とでも言っておこうか。

 

人々の視線が一気に橋に集中する。待機していたクルーズ船が開いた橋の下を颯爽と通り抜けていく。良い光景を見た。

 

昼飯はあらかじめ決まっている。門司港名物の焼きカレーが食べられる「こがねむし」という店に入った。外観の時点でレトロである。

店内も風流で、店のおばちゃん(いや、おば様と言おうか)も愛想が非常に良く、また焼きカレーも相当美味しかった。香ばしいかをりとチーズがたまらない。

価格も安くて門司港に来たら絶対に立ち寄るべき店だと感じた。

 

駅に戻り、次の列車まで時間があるので駅舎やホームなどをゆっくり見て回った。駅もレトロで歴史を感じる。

 

門司港は気軽に訪れようと思って来たが、予想を遥かに超えるような場所だった。ロマンと情緒溢れる最高の街で、ここは他人に自信を持っておすすめ出来る。

 

門司港から門司まで移動して再度経路に復帰する。今日の宿が西小倉にあるのでそこまで進んで今日は終了した。

最長片道切符の旅(37日目)

9月11日(土)

 

小野田で泊まったホテルは無料の朝食が付いていた。私は素泊まりで十分ではあるものの、朝食が有れば嬉しいし、朝から活力が湧いてくる。

 

山陽本線でお隣の厚狭に着いた。厚狭は私にとって馴染みがある。

 

小学1年生の頃、学校の先生に駅名クイズを出してみた。そして、その時に出題したのが厚狭である。先生は答えられず、心の中でガッツポーズをしたのをよく覚えている。

 

厚狭は「あさ」と読む。

 

そんな厚狭からは美祢線に乗り換える。ここも閑散とした路線で寂れている。

 

30分で美祢に着いた。この辺りではそこそこ民家も周りにある駅なので窓口はあると思っていたが、今年の5月末で窓口の営業は終了して6月からは無人駅になった。どんどん鉄道利用者が減っていっているのだろう。少子高齢化の波が地方を襲っている。モータリゼーションの波とコロナの影響が追い討ちをかけている。

 

駅前からは「あんもないと号」というバスが出ていて秋芳洞まで連れて行ってくれる。車内は私と男性の2人だけだった。

 

20分程バスに揺られて秋芳洞に着いた。前から訪れたかった場所なので心躍る。

 

土曜日にも関わらず、人が全然いなかったので快適に見て回れた。9時台という時間帯とコロナの影響なのかもしれない。

 

秋芳洞の中は言葉ではとても言い表せない。実際に見れば理解できるだろう。その雄大さに圧倒された。これが自然の神秘というものだろうか。とにかく素晴らしかった。

 

鍾乳洞の出口の横にあるお店でハヤシライスとソフトクリームを頂いた。ちょうどテレビでは大リーグの中継をやっていた。大谷翔平が2番ピッチャーで出場していた。それを店のおじさんと一緒に観ていたが、4回途中で降板して2桁勝利&2桁本塁打という快挙はお預けとなった。

だが、メジャーの舞台で二刀流で活躍できる才能と努力には惚れ惚れする。是非ともこれからも新たな歴史を作っていってほしい。

 

店を出て、再び来た道を戻る。さっきよりも人は増えてはいたが、混雑するほどではなかった。

 

バス停に辿り着き、「あんもないと号」で駅前へ向かった。今度は車内に乗客は私1人だけだった。

 

美祢から長門市行きに乗った。相変わらず1両のディーゼルカーだ。

 

長門市からはまた山陰本線に合流する。

時刻表で次の列車を調べてみると「快速〇〇のはなし」の運行日で1時間待てば乗車できることが分かったので、券売機で指定券を急遽購入した。

 

列車は2両編成で1号車が「和」、2号車が「洋」をモチーフにしているらしい。私は「和」のほうにした。

 

1人席を取ったので、席は窓を向いている。

今日は快晴で日本海も青くよく見える。

日本海はこの旅で度々見てきたが、全く飽きなかった。

 

途中、特牛という駅に停車した。これは全国でも有数の難読駅名として知られている。まず初見では読めない。もし初見で読めたなら宇宙レベルの天才だろう。「こっとい」と読む。

 

どの場所かは忘れたが、日本海がよく望める場所で列車は少し停車した。太陽も大分傾いて海は煌びやかである。シャンパンゴールドとでも言おうか。

 

列車は日本海から離れると山陽本線と幡生で合流する。幡生の次の下関で私は下車した。〇〇のはなしは新下関行きなので下関で進行方向を変える。私は手を振り、列車を見送った。

 

今日で本州は終わりとなり、明日からは最終エリアの九州に上陸する。本州はたしかに長かったが、あっという間に時が過ぎ去った。

 

旅は終盤に差し掛かる。ゴールまであともう少しだが、「このままもっと旅を続けていたい」という気持ちでいっぱいだった。

最長片道切符の旅(36日目)

 

9月10日(金)

 

朝の8時前にホームで列車を待っていると多数の高校生が下車して歩いて行った。周辺を調べてみると、浜田高校があるらしい。偏差値的におそらく進学校なのだろう。

 

私は8時ちょうどの特急スーパーおき1号新山口行きに乗車した。振り子式車両なのでカーブを曲がるごとに車体を傾けている。その傾き具合は中々深くて面白かった。

 

検札に来た車掌と話が弾んだ。この最長片道切符は話のネタになる。

 

昨日から山陰本線を西へ西へと走って来たが、益田からは山口線で南下する。山陰本線も相当ひっそりとしているものの、山口線はそれを上回る。周りは山ばかりである。

 

益田からは30分で津和野に到着した。私は車掌に手を振り、向こうも振り返してくれた。

 

津和野といえば、マニアには有名な駅だ。いや、マニア以外にも知っている人はある程度いると思う。津和野は「SLやまぐち号」の終点となっている。

 

駅前にはD51というSLが静体保存されていた。

デゴイチ」はいつ見てもカッコいい。

私の祖父も昔運転していた。

 

津和野で何か買おうとこじんまりとした商店に入店し、津和野名物らしい「葉わさび醤油漬け」を購入した。

 

津和野からは山口行きで山口に着くと、駅から少し歩き、春来軒という店で山口県ソウルフードと言われる「ばりそば」を食べた。皿うどんに似た食べ物で、私は大盛りを頼んだら予想以上のデカ盛りで運ばれてきて食べ切れるか心配になった。味は絶品とまではいかないけれど、普通に美味しかった。

 

山口から新山口まで移動し、今度は山陽本線と合流する。3日ぶりの山陽本線だが、幹線だから安心感がある。

 

宇部まで来て宇部線に乗り換える。

30分以上も待ち時間があるが、そんなものはもう慣れた。

 

宇部からちょっぴり走って居能に着き、おのだせんの列車で今日の目的地の小野田に着いた。

ホテル近くのスーパーで夕食を買いに行くとちょうど半額になる時間帯だった。いや、むしろそれを狙って行った。大体7時半頃だったと記憶している。