ともきちのローカル旅

最長片道切符の旅を完遂!7日目以降は写真挿入が不調のため、とりあえず文章のみ公開します。後々リライト予定

最長片道切符の旅(帰宅編)

 

9月26日(日)

 

旅は家に帰るまでが旅。とにかく無事に家に帰れることを願って早朝の新幹線に博多から乗車した。姫路に停車するのぞみに広島で乗り換えて姫路で下車した。なぜ姫路で下車したのかと言うと、少しでも新幹線代をケチりたかったからである。姫路からはJR西日本が誇る新快速という無料バケモノ快速が出ている。新快速は本当にありがたい存在だ。

新快速で草津まで一気にかっ飛ばして、それから乗り慣れた草津線に乗って無事に家に辿り着くことができた。

 

こうして、私の長い長い旅が終わった。最長片道切符の旅を完遂できたことはもちろん嬉しいが、何よりも無事に元気に帰ってくることができた。

この旅は一生の思い出となり、これからの人生で辛いことを乗り越える糧にきっとなってくれることだろう。本当に良き旅だった。最長片道切符よ、ありがとう。

 

全ての出会いに感謝を込めて…。

最長片道切符の旅(51日目)

 

9月25日(土)

 

最長片道切符の旅も最終日を迎えた。ホテルを出る時は、まだ辺りは薄暗く、長崎の街は眠っていた。

 

今日は晴れている。雨の心配はない。最終日にふさわしい天気だ。

 

長崎駅前の周りは西九州新幹線関連の工事が進んでいる。来年の秋に開業する予定らしいが、もう日本に新たな新幹線は必要ないと思う。何でもかんでも新幹線を作れば良いという問題ではないのではなかろうか。

 

長崎駅から今度は現川経由で諫早に行って、諫早から最長片道切符のルートに復帰した。諫早から先もそのまま長崎本線を東に向かって突き進んだ。

 

有明海が右に見える。快晴の青い空に朝日がぐんぐんと昇っていく。有明海は光り輝いていた。

 

なんと気持ちの良い朝なのだろうか。旅のゴール直前に素晴らしい景色を見て、最高の気分でゴールできることに幸せを感じた。

 

海沿いを走り続けた後、肥前鹿島に着いた。私はここで一旦下車した。なぜ下車したのかと言うと、最後の下車印をもらいたかったからである。肥前鹿島は長崎本線の中でも比較的大きな駅なので窓口が朝から空いている。

 

無事に最後の下車印を押してもらい、駅前を少し散歩して後続の列車に乗り込んだ。この列車がこの長い最長片道切符の旅の記念すべき最終列車である。列車番号は2840Mで、肥前山口行きだ。

 

最後の寄り道駅の肥前鹿島を8時09分に発車して、終点の肥前山口の1駅手前の肥前白石に15分程で着いた。

 

そして、肥前白石を8時24分に発車した列車はいよいよ終点の肥前山口へと歩を進めていく。

 

最長片道切符の旅も色々なことがあった。早起きの連続や乗り換えの連続で辛いと思ったことが何度もあるが、途中で諦めずにここまで来ることができた。

 

色々な感情が入り乱れる中、最長片道切符の旅も終点を迎える。

8時30分、最長片道切符の旅のゴールである肥前山口に到着した。

 

到着した瞬間、肩の力がすーっと抜けた。

達成感でいっぱいだった。

 

早速、窓口で無効印を押してもらう。乗車記念タイプの印と無効印タイプの印の2種類あって、私は乗車記念タイプのものにした。

 

 

駅前には最長片道切符の旅のゴールを記念する石碑等があった。2004年のNHKで放送された最長片道切符の旅の際に造られたモニュメントもあった。

 

私は達成感を噛み締めながら入念に記念撮影を行った。これほど真剣に自分を撮影したことなどない。

 

肥前山口駅最長片道切符の旅のゴールとして知られてはいるが、駅周辺はごく普通の田畑なども見られる。なんだか旅のゴール感というか最果て感というか、そのような感じではない。石碑等以外は実にあっさりしている。

 

しかし、達成感に満ち溢れていた私にとってはそんなことなどどうでも良かった。

 

とにかく無事にゴールができて安堵した。

 

しばらく肥前山口に滞在して、家の最寄駅までの切符を窓口で買った。旅は家に帰るまでが旅なのである。もう一度気を引き締めて、佐賀方面の列車に乗り込んだ。

 

このまま真っ直ぐ今日中に家に帰っても良いのだが、1つだけ寄りたい場所がある。

 

肥前山口から2駅目の久保田で列車を乗り換えて唐津線西唐津まで行き、西唐津駅前からはバスに乗って呼子(よぶこ)まで行った。ここに来たのはもちろんイカの活造りを食べるためである。佐賀県呼子は日本有数のイカの産地として知られている。

 

私は超人気店の「河太郎」という店に行ったが、すでに58組待ちだった。仕方なく、屋台のたこ焼きを食べながらスマホよしもと新喜劇を観て時間を潰した。よしもと新喜劇を見終わる頃には店に入ることができた。

 

この「河太郎」という店は、イカの活造り発祥らしく、全国から多くの人が呼子イカを食べにやって来る。

 

注文してしばらく待っていると、イカの活造りが運ばれてきた。非常に美しい見た目で気分が上がる。醤油を垂らすとイカの足が踊る。面白い。新鮮を物語っている。早速食べると、甘い。コリコリとした食感も良い。イカのしゅうまいも相当美味い。

残ったゲソは天ぷらにしてもらう。これがまた素晴らしい。これを食べるだけで呼子に来て良かったと思える。

 

呼子イカを満喫した後は来た道を帰る。バスに乗って西唐津駅前まで行って西唐津から鉄道に復帰する。1駅隣の唐津からは筑肥線福岡市営地下鉄空港線を通って博多まで一気にワープした。地下鉄の路線を使って直通してくれるからありがたい。

 

今日は家に帰らず、博多で宿泊する。そして、明日のんびり帰る。

最長片道切符の旅(50日目)

 

9月24日(金)

 

今日は1日中長崎を観光する。本当に旅を延長して良かったなと思う。

 

長崎は日本の端っこに位置していて、出島を介して西洋の文化がたくさん入ってきた。そのため、街並みも西洋の文化の影響を強く受けたものになっている。私は、これまで全国を転々と巡ってきたが、これほど異国感溢れる街は初めてだ。

 

まずは泊まったホテルから徒歩で出島に向かった。

 

1636年、長崎に築造された出島には、オランダ貿易によって世界の最新の情勢や西洋の学問や文化が入ってきた。一方で日本の情勢も世界に発信された。出島は江戸時代の日本と西洋を結ぶ唯一の窓口として大変重要な役割を果たした。

 

私は出島資料館には入らなかったが、出島を解説してある看板で出島の歴史を学んだ。

 

一通り見て回った後、長崎港の所にある海鮮丼屋で地魚ばかりを盛り付けた地げ丼と普通の海鮮丼を両方頼んだ。お金はかかったが、食べ比べできて満足した。日本のあらゆる所で美味しい海鮮丼が食べられるので、日本に生まれて良かったとつくづく思う。

 

ちなみに海鮮丼を食べながらオンラインで受けていた授業は先生が何を言っているのかほぼ分からず、絶望した。機械設計学はとても難しかった。

 

海鮮丼を食べた後は大浦天主堂へ徒歩で向かった。市電を使いたい気もしたが、時間に余裕があるのでもったいないと思って歩いて行くことにした。途中、オルゴール館を発見したので立ち寄った。ビートルズの「Yesterday 」があって即購入した。そこそこの値はしたが、クレジットカードで払ったので全然払った感覚がしない。クレジットカードを使う際は特にいくら使ったかを書き留めておかないと恐ろしいことになる。

 

オルゴール館を出てから坂を登ると大浦天主堂が現れた。実に立派である。日本に現存する最古のキリスト教建築物で、世界遺産に登録されている。

そういえば、私の中学の時の修学旅行は本来長崎と熊本へ行くはずだった。しかし、その頃熊本地震が発生して東京へ行き先を変更せざるを得なくなってしまった。あの時行くはずだった大浦天主堂にまさか最長片道切符の旅で訪れるとは思ってもいなかった。

 

その後、少し歩いてグラバー園へ辿り着いた。

グラバー園は、長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった所に、市内に残っていた歴史的建造物を移築した施設である。

 

西洋との繋がりの歴史が感じられて予想以上に良い観光地だった。

 

グラバー園の後はオランダ坂に向かった。途中、カステラ屋を見つけてカステラを購入した。そして、オランダ坂の途中にある休憩所でそのカステラを食べた。流石、長崎のカステラだった。

 

オランダ坂日本三大がっかり名所とか言われることもあるらしいが、私は風情があって黄昏るには丁度良い所だとは思った。

 

オランダ坂を登ってからはどんどん下って長崎市の中心地へ戻った。それからそこそこ歩いて稲佐山のロープウェイ乗り場へ着いた。ここへ来た理由はもちろん長崎の夜景を観るためである。ロープウェイのチケットを買ってロープウェイに乗り込んだ。長崎市内を観ながらあっという間に山の上にある乗り場へ着いた。

 

山頂に着いた時は、まだ日は暮れておらず、夕日をしばらく眺めていた。海も夕日に照らされて煌びやかだった。しばらく黄昏ていると夕日が沈んで辺りも徐々に暗くなってきた。人も比例するように増えてきた。

 

ぼーっと市内を眺めていたらすぐに空は真っ暗になった。そして、同時に美しい夜景が姿を表した。

 

長崎の夜景は、世界新三大夜景の1つとして知られている。世界新三大夜景に認定される前は、この稲佐山のロープウェイは廃業寸前まで追い込まれていたそうだが、認定されてからは観光客が急増して廃業を免れることになったそうだ。経済効果は凄まじいものがある。

 

船の汽笛が鳴り響き、哀愁を醸し出す。私は、これまでの最長片道切符の旅をゆっくりと振り返りながら、この美しい長崎の夜景に思いを馳せていた。

 

明日で旅が終わってしまう寂しさや、良い旅ができた満足感など様々な感情が入り乱れていた。

 

気づけば夜の10時前になっていた。そろそろロープウェイに乗って帰らないとと思って急いで乗り場へ行くとなんと営業を終了していた。本来なら営業しているのだが、緊急事態宣言等で営業時間が短縮されていたのだろう。まさかの事態に動揺はしたが、ここは奥の手のタクシーを渋々使うことにした。旅にトラブルはつきものとよく言うが、まさかこんな旅の終盤に起こるとは思わなかった。

 

そして、近くのタクシー会社に電話をして山頂近くまで来てもらうとこになって、無事にタクシーに乗り込んでホテルに帰ることができた。

 

最長片道切符の旅もいよいよ明日が最終日。

まだ旅を続けていたい。それが本音である。

明日はどんな1日になるのだろうか。

最長片道切符の旅(49日目)

 

9月23日(祝)

 

昨日は博多近郊で観光を楽しんだ。今日は佐賀を通って長崎まで行く。

 

まずは、九州新幹線の始発で隣の新鳥栖まで行き、乗車券を新たに買って鳥栖に寄り道した。

鳥栖と言えば、サッカーチームの「サガン鳥栖」が有名である。

 

私は鳥栖駅名物の「かしわうどん」を食べた。かしわの旨味が出汁に溶け出して最高だった。

 

鳥栖からは佐賀行きに乗った。新鳥栖からは最長片道切符の経路に復帰する。ロングシートに座って寝ていたら気付けば佐賀に着いた。

 

佐賀で適当に時間を潰して肥前山口行きに乗って終点の肥前山口に到着した。

 

さて、この最長片道切符は稚内から肥前山口までの切符である。多くの人がこれで旅が終了したと思うに違いない。しかし、まだ旅は終わらない。路線図を見れば分かりやすいのだが、肥前山口から先は線路が二手に分かれている。片方はこれまで乗ってきた長崎本線で、長崎まで繋がっている。そしてもう片方は佐世保線で、佐世保まで繋がっている。私は肥前山口から佐世保線早岐(はいき)まで行き、大村線に乗って諫早(いさはや)、そして長崎本線肥前山口に戻ってくるルートを通る。

 

それを踏まえた上で最長片道切符のルールをおさらいしよう。この切符は一筆書きのルートで、同じ駅を2度通ってはいけない。つまり、また戻ってくる条件を満たす必要はあるが、ゴール地点で2度通って強制終了すれば1度通ってゴールするよりも距離を稼げる。そして、肥前山口はこの条件を満たしている。これは文章だけで理解しようとするよりも路線図も見て理解しようとした方が遥かに分かりやすい。

 

何はともあれ、旅はまだ終わらない。肥前山口で下車印を押してもらうために1回目の途中下車をする。次、肥前山口で下車する時には最長片道切符は無効になって旅は終了する。

 

肥前山口からは佐世保線の列車に乗る。特急ハウステンボスで武雄温泉まで行った。武雄温泉駅では来年開業を迎えている西九州新幹線(武雄温泉ー長崎)の準備が進められていた。開業前の新幹線ホームを見るのは新鮮だが、正直もう新幹線は必要ないと思う。観光客は喜ぶかもしれないが、地元の人にとっては運賃が高くなって地域の足としての役割が失われてしまう。

 

武雄温泉駅の状態を見た後は鈍行に乗って有田で下車した。有田は「有田焼」で全国的に知られている。

 

列車の待ち時間に観光案内所で有田焼を少し眺めて、特急みどりに乗り込んだ。特急みどりと特急ハウステンボス早岐まで連結されている。早岐からは佐世保行きの特急みどりとハウステンボス行きの特急ハウステンボスに分かれる。

 

私は特急みどりにそのまま乗り続け、最長片道切符のルート外の佐世保まで来た。

 

佐世保は私の友人の故郷である。ちょうど私が佐世保駅にいるときにその友人から連絡が来て、佐世保駅にある佐世保バーガーの「ログキット」という店をおすすめされた。

 

ボリューミーで見た目のインパクトは凄まじく、見ただけで美味しいのが分かる。

 

宮川大輔風に言うと、「見たら分かる美味しいやつやん」

 

もうこれは食べる前から美味しい。そして、私は大きく口開けて佐世保バーガーにかぶりついた。やはり美味しかった。もうその他に言葉は出てこない。美味しいと語彙を失う。

 

佐世保バーガーを食べ切った後は早岐まで戻って、今度は大村線に入る。私はハウステンボスで下車した。もちろんこの駅で下車するということは、テーマパークのハウステンボスに行くのである。

 

ハウステンボスの入場料は7000円と高額だが、午後3時以降の入場なら5000円で入れる。私はそれを狙っていたが、思いのほか早く着き過ぎた。どのようにして暇つぶしをしようかと考えていると、スタッフのお姉さんが声をかけてきた。どうやらエポスカードというクレジットカードを新たに作ると入場料が2000円引きになるという。私は少しでも節約したかったため、エポスカードを作ることにした。

 

ちなみに私は既に楽天カードを所持しているので、楽天カードはメインカードとして、そしてエポスカードはサブカードとして運用することに決めた。

 

スタッフのお姉さんはとても気さくな方で色々な話をしながら楽しく手続きを進めた。今は大学4年生で、もう内定が決まっているらしい。そして、バイトを4つ掛け持ちしているとのことだ。接客のプロを目指しているそうだが、既に接客のプロだと思う。

 

九州の人はみんな暖かいが、今日は特にそれを感じた。

 

無事にエポスカードを作り終える頃には午後3時になっていた。お姉さんに見送られて3000円で入場のゲートを通った。お姉さんとの楽しい時間は終わったが、今度はハウステンボスでの楽しい時間が始まる。

 

写真栄えする風車や施設、お花などがあり、夢の世界へ迷い込んだように思えた。

 

一通り見て回った後、夕食の時間になったので、お姉さんにおすすめしてもらっていた「ロード・レーウ」という店に入った。ここで佐世保名物のレモンステーキが食べられる。

これもまた美味しかった。ステーキにレモンは合うのかと心配していたが、全然問題なかった。

 

夕陽は観覧車の中から眺めた。神秘的な光景に目を奪われる。

 

そして、日が暮れるとハウステンボス内の灯りが点灯して幻想的な空間を作り出していた。この夜景を観ながら黄昏て、あっという間にハウステンボスの閉園時間になった。

 

ハウステンボスを満喫した後は再び列車に乗る。大村線の列車で諫早(いさはや)まで行き、新たに乗車券を買って長崎本線の列車に乗り込んだ。長崎本線は2つルートがある。今回は旧線の長与経由で長崎まで行った。

 

長崎に到着した頃には23時を回っていた。今日は長崎で宿泊する。

 

今日は最長片道切符の旅の中で特に充実していた日だったように思う。

 

明日は長崎観光を1日中楽しみたいと思う。

最長片道切符の旅(48日目)

 

9月22日(水)

 

今日は最長片道切符を使わない。最近はゆとり日程のため、最長片道切符を使わずに観光したり、寄り道したりする機会が増えている。

 

まず、博多からけやき台までの乗車券を新たに買って、鹿児島本線に乗り込んだ。

 

昨日通った区間を遡る。原田から1駅のけやき台で降りてそこから少し歩いた。

 

大きな道路沿いにお目当ての店を発見した。「丸幸ラーメン」という。ここは九州出身の友人おすすめの店で、絶対行こうと思っていた店だ。

 

早速、店の中に入り、満腹ラーメンを注文した。クセのない豚骨ラーメンは食べやすく、とても美味しかった。これは万人に受ける味で、万人におすすめできるラーメンだと感じた。

 

美味しいラーメンを堪能した後は再び鹿児島本線に乗って博多まで戻った。博多からは地下鉄で、天神に向かった。

 

天神はあのCMで有名である。

「子供に勉強勉強って言いたくないですよね。

ただいまー!天神!天神!天神!

でも、我が家は大丈夫。天神は教科書とリンクした学習スィステム。パソコンを使った分かりやすくて楽しい教材。やり方1つでこんなに変わるものなんです。

0120 019の828〜。天神だからできたこと。」

 

今の大学生辺りの世代は知っている人が大勢いるだろう。

 

私は、天神のソニーストアで次に買うべきカメラやレンズをどうすれば良いかのアドバイスをもらいに行った。スタッフの人はとても気さくに話しかけてきて、ソニーフラグシップ機のα1も試写できたので非常に満足した。しかし、今まである程度カメラやレンズにお金を費やしてきたのでおそらく次買うのは社会人になってからのように思う。私の場合、カメラ関係はある程度ラインナップが揃った。そのため、学生の内はカメラよりも長旅やロードバイクを購入するのにお金を費やした方がこれからは良いように思う。

私みたいに趣味が多いとお金が物凄くかかる。ただ、充実した日々を送ることができるので、お金は無駄には感じない。

 

ソニーストアの後は近くのスタバで新作のお芋のフラペチーノを飲みながら、オンラインで授業を受けた。

 

授業が終わった後は腹が減ったので、何か食べようと思った。天神だからラーメンを食べようと思ったけれど、最近ラーメンばかり食べているので海鮮系が食べたくなった。

 

海鮮系を食べるならやっぱり回転寿司は外せない。回転寿司と言えど、近年は相当クオリティが高く、安定している。回転寿司はバカにはできない。

 

私は近くにあったスシローで寿司をたらふく食べた。スシローはネタはもちろんのこと、わさびが美味しい。ただ、唯一値段が全体的に少々高くなったことが悔やまれる。これは求め過ぎだろうか。

 

スシローで時間を潰して、ある程度陽も傾いてきたので福岡タワーへ向かうことにした。

 

天神から西新まで地下鉄で移動して、そこから歩いて福岡タワーまで来た。

 

予想以上に高く、圧倒された。

 

エレベーターで展望室に上がると、沈みゆく太陽に淡く染まった福岡の街並みが一望出来た。

 

太陽が沈んでからは、徐々に街の明かりが灯ってきた。展望室には幻想的なBGMが流れていて福岡の夜景をより際立たせてくれる。

 

旅も残り数日となり、これまでの日々を振り返りながら営業時間ギリギリまで黄昏た。

 

そして、徒歩と地下鉄で、昨日も泊まった博多のホテルまで戻った。

 

もうすぐ旅が終わってしまうことを考えるちょっぴり寂しげな夜だった。

最長片道切符の旅(47日目)

 

9月21日(火)

 

今日から大学の後期の授業が始まる。しかし、少なくとも9月末まではオンライン授業のため、スマホで授業を受けられる。しかも私はギガ無制限なのでWi-Fiを探したり、データ通信量を気にする必要もない。

 

ホテルのチェックアウトの10時ギリギリまで粘った後、授業を聞きながら西小倉から折尾方面の列車に乗った。授業と言っても初回はガイダンスのため列車に乗りながら聴いてもさほど問題ではない。

 

1限が終わる頃に折尾に着いた。ここから最長片道切符の経路に復帰する。折尾駅のホームには東筑軒のおじさんが「おべんとー、おべんとー、かしわめしだよー」と威勢の良い声で折尾名物のかしわめしを売っていた。折尾駅の駅弁立ち売りは100年の歴史があるのだから立派なものだ。昔は全国各地で見られた光景らしいが、時代の流れと共に姿を消していった。

 

折尾の名物おじさんと少し会話をして、私はかしわめしを2個買った。1個買えば十分だが、立ち売りの伝統をこれからも続けてもらいたいという気持ちを込めて2個にした。

 

そして、2限の授業が始まり、授業を聞きながら折尾を後にした。鹿児島本線で博多方面へ向かう。小倉ー博多間は線路の状態が良く、酷く揺れることは無かった。

 

博多の1駅手前の吉塚で下車して篠栗線に乗り換える。博多近郊にも関わらず両数が少ないので車内は混雑していた。私は桂川で降りた。京都にも桂川という駅があるけれど読み方が違う。京都の方は「かつらがわ」と読み、こっちは「けいせん」と読む。

 

桂川からは原田線に乗る。この原田線は博多近郊とは思えない程本数が少ない。今日の行程は原田線の列車の時刻に合わせて組んでいるのでさほど待つことなく列車に乗れた。

 

ディーゼルの音を轟かせながら1両の国鉄気動車は田舎道を進んで行く。車内はボックスシートが並んでいてそこで食べるかしわめしは絶品だった。やはりこれが鉄道旅の醍醐味だと思う。だから鉄道旅はやめられない。

 

終点の原田に着いた。「はらだ」ではない。「はるだ」と読む。

 

原田からは鹿児島本線で博多へ向かう。そのまま1本で行くと博多に早く着き過ぎるので、下車印集めをしながらのんびり移動した。

 

とうとう九州一の大ターミナル・博多に到着した。夕食は駅ナカの博多ラーメンが食べられる店で食べることにした。九州出身の友人おすすめの「Shin Shin」という店で豚骨ラーメンを食べた。博多はラーメンで名を馳せているだけあって安定に美味い。博多ラーメンを食べにだけでも博多を訪れる価値があると思った。

 

今日は博多で宿泊する。

明日はゆっくり博多周辺を観光するから思いっきり楽しもうと思う。

最長片道切符の旅(46日目)

 

9月20日(祝)

 

本来なら熊本を始発で出発してグニャグニャと移動しながらその日の内に博多まで行くという予定だったが、日程の延長でゆとりがあるため折尾までとすることにした。

 

ちなみにこの日は当初の旅程ではゴールの肥前山口に着いて帰宅するということになっていた。まだまだ旅を楽しめることに嬉しさを覚えた。

 

7時台に起床し、支度をした後、連泊したダイワロイネットホテルを去った。

 

熊本から鹿児島本線筑後船小屋という地味な駅まで進み、そこから1区間だけ九州新幹線に乗って久留米に着いた。久留米は松田聖子チェッカーズの出身地で、私は80年代の音楽が好きなので興奮した。

 

久留米からは久大本線の日田行きに乗車した。この久留米発日田行きは1両だけのディーゼルカーで車内は若者を中心に大混雑していた。しかし、久留米から3駅目の久留米大学前で大半の人が降りていった。きっと皆大学生だったのだろう。

 

車内では若い女の子が九州の方言(おそらく博多弁)で会話しているのが聞こえた。語尾に「けん」や、「と」が付いて思わず胸がときめいた。こんな言葉で話されたら世の男性は一瞬で落ちてしまう。

 

1両のディーゼルカーは淡々と走り続け、私は夜明という素敵な名前の駅で下車した。最長片道切符のルートではここから日田彦山線に乗り換えて田川後藤寺まで行くのだが、夜明から添田まで2017年の九州北部豪雨によって今も不通になっている。

この不通区間に関してはこの旅でお馴染みの代行バスでこの区間に乗車したとみなす。

 

代行バスに乗って自然豊かな所を突っ走るのだが、途中で眠くなって30分以上寝てしまった。

日田彦山線のこの区間国鉄気動車ボックスシートに座りながら車窓を眺められたらもっと楽しかったんだろうなと思いを馳せた。

 

代行バスの終点の添田からは鉄道に復帰し、田川後藤寺までほんの少し進んだ。

 

田川後藤寺からは後藤寺線に乗り換える。1両の国鉄気動車がぽつんとホームに佇んでいる。非常に趣がある。

 

後藤寺線は短い路線で、私鉄を買収した区間になっている。そして、元々は石炭や石灰石を運ぶ貨物線だった。沿線の風景も独特で当時の面影を残している。中々新鮮な車窓だった。

 

新飯塚に着いて、福北ゆたか線に乗り換える。この辺りから本数が一気に多くなる。途中、直方という駅を通る。これは難読駅名で知られている。「のおがた」と発音する。

 

しばらく走って折尾に到着した。折尾名物のかしわうどんを食べてこれを夕食にした。最長片道切符のルート上では今日はここで終了となるが、折尾周辺には安い宿が無かったため、この前泊まった西小倉の安いホテルに泊まるために別途乗車券を買って西小倉まで移動した。

 

西小倉のホテルの目の前には小倉城があるので、小倉城周辺を散策してみた。緊急事態宣言かまん防だか知らないが、その影響で施設等は閉まっていた。

 

しかし、立派な城を見れて良かった。