ともきちのローカル旅

最長片道切符の旅を完遂!7日目以降は写真挿入が不調のため、とりあえず文章のみ公開します。後々リライト予定

最長片道切符の旅(28日目)

 

9月2日(木)

 

今日は草津線の某駅から出発だ。草津で名物の姥ヶ餅(うばがもち)を買った。私の地元周辺の名物にも関わらず食べたことが無かった。

 

姥ヶ餅はかつての日本一長い歌であった鉄道唱歌にも登場している。

 

鉄道唱歌・38番》

彦根に立てる井伊の城 

草津にひさぐ姥ヶ餅

かはる名所も名物も

旅の徒然のうさはらし

 

クセのある味かなと予想していたが、案外スタンダードな味で食べやすく、良い意味で期待を裏切られた。

 

1つ1つがとても小さいのですぐ食べ終えた。

 

琵琶湖線で山科に着くと今度は湖西線に乗り換える。普通の人は京都まで行くのにそのまま琵琶湖線に乗る。しかし、日本一の遠回り切符はそうはいかない。ここから近江塩津米原、岐阜、富山、金沢、敦賀、綾部を経由して京都に向かう。たった1駅の区間をとんでもなく遠回りする。自分でも阿保らしいと思うが、ぶっ飛んでいて清々しい。

 

故・宮脇俊三氏は自身の本でこう記している。「阿保らしさも極まって襟を正させる趣さえある。無意味や無駄に思える行為にこそかりそめの「生」の「証し」があるのでは。」と。

 

最長片道切符の旅はまさにこうゆうことなのである。

 

 

湖西線は高架でスピードを出せるようになっている。しかし、比良おろしという強風でたびたび止まる。湖西線が止まった時の特急サンダーバード米原経由で運転される。

 

頼もしく12両を繋いでいる新快速は近江今津で4両に切り離され、敦賀方面へと向かう。私は北陸本線との分岐駅である近江塩津米原方面の列車に乗り換えた。トンネルを抜けると余呉湖が見える。余呉の次は木ノ本に停まる。

 

木ノ本はSL北びわこ号の終点駅となっていたが、今はSLの運行はされなくなってしまった。誠に残念でならない。これではどんどん木ノ本は寂しい町になってしまう。

私は木ノ本で下車してお土産屋で甲賀サイダー、アドベリーサイダー、びわ湖サイダーを購入した。

少しでもお金を落とせて良かった。

 

米原まで来ると再びJR東海区間に入る。乗車前に近江牛の駅弁を買った。おばちゃんは愛想が良かった。大垣で列車を乗り継ぎ、岐阜に到着する。次は高山本線に乗り換える。下呂でゆっくりしたかったので特急ワイドビューひだで先を急いだ。

 

下麻生(しもあそう)駅の近くで「うだつ」を付けた家がちらほら見えると宮脇俊三氏の本に書いてあったが、イマイチどれか分からなかった。うだつは商家を中心に隣の家との境に設ける防火壁のことだ。

「うだつが上がらない」という言葉の語源となっている。

 

高山本線は全般的に峡谷や渓流で眺めが素晴らしい。

 

1時間半程だろうか。下呂に着いた。下呂温泉は日本三名泉の1つで、全国的にも知名度が高い。私も小さい頃、家族旅行で下呂温泉に入ったことがある。あれはホタルの時期であったと思う。ホタルを見た記憶がある。

 

夕食を求めて下呂の街を散策していたものの中々開けている見つからない。どこの店も緊急事態宣言の影響で閉めている。仕方がない。旅行中はニュースはほとんど見ていないからどの県に緊急事態宣言が発令されているかをほとんど把握していない。これは私自身少し反省すべきだと思う。しかし、ありがたいことに緊急事態宣言で人が全然いないため密にならずに快適に旅ができている。

 

ようやく飛騨牛焼肉屋を見つけ、たらふく飛騨牛を食べた。ホルモンは臭みがあってイマイチだったが、他のメニューはどれも美味しかった。味は普通に美味しい。だが、女将の接客が悪過ぎる。殿様商売とはこのことである。

おもてなしの心がまるで感じられない。

店を出る際に嫌味を言ってやろうかとも思ったが、最後だけは普通の接客態度になったので言うのはやめにした。

 

それから宿で下呂温泉に入った。肌がすべすべになり、流石日本三名泉だと感じた。

最長片道切符の旅(27日目)

 

9月1日(水)

 

奈良の朝は早い。天王寺方面の始発列車が4時台にある。私はそれで郡山へ行った。郡山で下車した理由はJR東日本の郡山とJR西日本の郡山の下車印を両方欲しかったからである。JR東日本の郡山はすでに捺してもらってある。

 

駅員がいることを祈っていたが、窓口の営業時間外だった。仕方なく時間を潰して王寺まで進んだ。ここは大きな駅で窓口は朝早くからやっているという確信があった。案の定やっていて下車印を捺してもらった。

 

王寺にはたくさんの201系がこれからの出勤を待っていた。201系は引退が近い。この光景は数年後には見られなくなる。

 

少し進んだ久宝寺でも下車印を捺してもらい、いよいよ天王寺へと向かう。天王寺からは本数が多くなる。大阪環状線を西九条経由でぐるりと回って京橋に着いた。そこから学研都市線で木津、大和路線で加茂、関西本線で柘植というルートを通る。柘植は「つげ」と読む。「たくしょく」とは読まない。かつては栄えていたそうだが、今は侘しい。

 

草津線に乗り換えて1駅1駅下車した。私の地元路線なので草津線の全駅の下車印を集めたかった。

 

寺庄では駅の窓口の方と鉄道話に花を咲かせた。

「鉄道はどんどん利用者が減って寂しくなってきていますねー。旅情が失われつつあります。タイムマシンがあれば昔にタイムスリップして50年代から80年代あたりの鉄道に乗ってみたいです!」

「昔の鉄道は本当に面白かったよー。優等列車もたくさん走っていたからねー。タイムマシンかー、ドラえもんに頼まなきゃね!」

 

 

私は草津線内の某駅で下車して実家で一夜を明かした。

最長片道切符の旅(26日目)

 

8月31日(火)

 

白浜に来たら食べたいものがある。それは口熊野食堂の口熊野ラーメンだ。数年前に訪れて美味しかったのでリピートしてみようと思う。

 

駅から案外離れた所にあるため、白浜駅のレンタサイクルを利用することにした。荷物をカゴに載せて漕ぎ出すと反応が良い。空気圧が高めなのだろうか。スイスイ進む。この手のチャリは大体漕ぐのが重いが、今回はスポーティーなチャリのように軽い。今日も相変わらず暑いが、暑さが無ければどこまでも行ける気さえした。

 

20分程して目的地に着く。ちょっぴり懐かしい気持ちになる。

 

出されたお冷をがぶ飲みしてラーメンが出されるのを待った。まずはスープを飲む。ラーメンは基本どの味も食べられてこだわりみたいなものは私には無いが、醤油とんこつの味は絶品だった。麺無しにスープだけでもいけてしまう。麺ももちろん美味しいが、このスープが素晴らしいため全部飲み干した。白浜に来る際は毎回ここに寄りたいと思った。

 

駅まで戻り、今日も最長片道切符のルート上を進む。白浜から紀伊田辺、御坊、和歌山と乗り継ぎ、和歌山線で高田まで行った。高田からは万葉まほろば線で桜井や天理などを通って奈良まで進んで行く。万葉まほろば線は愛称で正式には桜井線と言う。

 

万葉まほろば線の車内は夕方の時間帯に通ったためか立ち客が出る程混んでいた。車内の高校生くらいの女子たちが関西弁で話している。イントネーションも関西風で関西へ来たことを実感して少し安堵した。

 

途中の駅で耳に大量のピアスを付けている女子が乗り込んできた。中学生か高校生っぽいが、これを許す学校はあるのだろうか。もしかして大学生なのか。ちょっと怖かった。私はその界隈は全くの無知だが、何事も度を過ぎると逆効果になる。

 

奈良に着いてからは奈良公園で鹿と触れ合った。日も暮れていて鹿も大人しい。奈良の鹿は餌に貪欲で宮島の鹿よりも品が無いと思っていたが、夜は逆に私に怖がっている。それだと私もつまらないから鹿せんべいで注目を集めようとしたが、この時間はもう鹿せんべいは売っていなかった。残念ではあるが、奈良なんていつでも来れる。また別の機会にしようと思う。

 

明日はいよいよ私の地元である滋賀を通る。

なんだか一層旅も終わりに近づいて来る感じがして少し寂しい気持ちになった。

 

最長片道切符の旅(25日目)

 

8月30日(月)

 

今日は久しぶりに始発列車に乗ることした。最近は疲れや昼食の都合上、出発時間が遅れていた。

 

名古屋から関西本線で亀山へ向かう。関西本線はかつては重要な幹線として輸送を担っていたが、東海道本線東海道新幹線にメインの座を奪われたため、今は本線と呼ぶのに相応しくなくなってしまった。平行する近鉄に完全に負けている。関西本線は本数もさほど無く、所要時間も近鉄に比べてかかるため、近鉄の独壇場になっている。しかし、JR東海東海道新幹線というドル箱路線があるため、この競走に負けていても問題は無い。

 

半分程進んで途中の四日市で下車印を捺してもらおうしたものの、窓口はまだやっていなかった。

 

亀山に着くと、これから長い長い紀勢本線が待っている。途中に通る津は日本一短い駅名である。松阪では特急券や松坂牛弁当を買って特急ワイドビュー南紀に乗車した。ディーゼル特急なので加速する時の音がやっぱり良い。しかし、線路が悪いのかかなり揺れる。こんなに揺れて大丈夫なのかとも思う程だった。

 

今日は晴れている。この旅1番の快晴で心も晴れやかになる。海も見えてくる。まさにオーシャンビューと言うべき光景に目を惹かれた。

 

車掌は検札で切符を見て驚き、興味津々で少し話した。新宮で車掌が交代する。新宮まではJR東海の車掌だが、新宮からはJR西日本の車掌になる。この車掌も興味津々で愛想が良かった。

特急列車の車掌は愛想が良い人が多い。流石だなと思った。

 

終点の紀伊勝浦では白浜までの特急券を買って駅から徒歩2、3分の所にある「めはり寿司二代目」で勝浦名物のめはり寿司と、同じく名物のまぐろを頂いた。めはり寿司紀州・熊野地方の郷土料理で日本最古のファストフードだそうだ。高菜の漬物でおにぎりを巻くという非常にシンプルな料理で味付けも優しい。優しさの中に深い味わいがあって美味しかった。

また、勝浦は生まぐろの水揚げ量日本一でこれもまた美味い。

 

めはり寿司、まぐろ丼、まぐろの串カツなどが定食の内容だったが、どれもクオリティが高くて予想を遥かに超えた。

 

大満足の昼食後は特急くろしおに乗って白浜に行く。たまたま座席のテーブルに下車印まみれの最長片道切符を広げていたら男性の方に声をかけられた。還暦を過ぎた旅好きの方で今はJR西日本管内を旅しているという。また、宮脇俊三氏のことも知っていて時間を忘れる程話し込んだ。宮脇俊三氏を知っている人に出会ったのは倶知安で出会った人以来2人目だ。鉄道旅の魅力を共有できて良い時間を過ごせた。

 

本当に旅は一期一会なのだとつくづく思う。もし、この特急くろしおのこの車両に乗って最長片道切符を広げていなかったら話すことも出逢うことも無かったのである。

 

人生は何が起こるか分からない。だから面白い。辛いことも大変なこともたくさんあるが、人生は捨てたもんじゃない。きっとどこかで素晴らしい出逢いや経験が待ち受けている。

そう私は信じている。

 

白浜に着いてからはバスに乗って三段壁へ寄った。三段壁は数年前の家族旅行で訪れたが、三段壁洞窟は行っていないので入場料を払って行ってみた。波が岩壁に打ちつける光景は見応えがあった。

今日は快晴で三段壁からの眺めも素晴らしい。

 

そして、再びバスに乗って白良浜(しららはま)にも寄った。ちなみにここも以前に訪れた。さらさらの白い砂浜は美しかった。ムキムキお兄さんやビキニお姉さんがたくさんいた。カップルや大学生らしき集団もいて、賑やかであった。

私は水平線に沈む夕陽を見ようと待っていたが、あと少しのところで雲に隠れてしまった。またリベンジしに来ようと思う。

 

明日からは大阪近郊区間に入る。何と言うべきだろうか。今までは未知の路線ばかり乗ってきたが、乗り慣れた路線は安心感がある。

 

最長片道切符の旅(24日目)

 

8月29日(日)

 

飯田を朝早く出ようと思っていたものの、疲れが抜けないため、結局9時台の列車に乗ることにした。

 

伊那新町まで北上し、伊那新町からは代行バスに乗る。先日の大雨の影響で伊那新町と辰野の区間は線路損傷でずっと運転を見合わせている。

 

代行バスには15、6人が乗った。しばらくして辰野に着いたが、そこから岡谷まで行く列車が2時間近く無く、うなだれている人も結構いた。私は待つのにもうこの旅で慣れているが、それでも長い。ちょうど昼飯時だったので適当に駅近くの店を調べた。

鰻と鯉の料理が食べられる店で時間を潰すことにした。鰻はカリッとジューシーで、鯉は味付けが良かった。値は張ったが、満足はしたし、時間も潰れた。

 

岡谷は辰野から2駅のためすぐだった。長い待ち時間に見合わず、乗車時間は一瞬でなんとも言えない気持ちになった。

 

岡谷からはみどり湖経由で塩尻に出た。塩尻には日本一狭い駅そば屋の「桔便」がある。鉄道界で有名なユーチューバーのスーツ氏も「そばはあまり好きではないが、ここのそばは美味しい」と口にするほど美味しいらしい。私は「安曇野葉わさびそば」を注文した。駅そばとは思えぬクオリティに驚いた。さっき鰻丼と鯉のうま煮を食べてそこそこ腹が膨れているにも関わらず、美味しいと感じるのは本当に美味しいそばなのだろう。葉わさびのつんとしたかをりと味が食欲をそそる。

 

さて、ここから中央西線で名古屋へ向かう。上松までは列車が走っているが、上松ー南木曽間は先日の大雨でやられてしまった。

復旧はまだまだかかるそうだ。

 

ここも代行バスに乗ったが、車内は登山帰りの客を中心に混んでいる。ようやく解放された頃にはもう日が暮れていた。

そこから中津川まで行き、名古屋行きの列車に乗り換えて名古屋の1駅手前の金山まで行った。金山で下車した理由は中央西線東海道本線の境界の駅で下車印を捺して貰いたかったからだ。この辺りは本数が多くてありがたい。またすぐやってきた列車に乗って1駅先の名古屋まで行った。

 

私は10年間名古屋に住んでいたため懐かしい気持ちになった。名古屋時代の友達は今頃どうしているのだろうか。そんなことを考えている内に眠りについた。

最長片道切符の旅(23日目)

 

8月28日(土)

 

今日は静岡から長野県の飯田まで行く。

 

泊まったホテルのチェックアウト時間にギリギリに出発した。今日もとんでもなく暑い。暑さで気が滅入ったが、20分程歩いて新静岡駅の中にある「さわやか」という静岡県内のみのチェーン店に入った。ここの1番人気メニューらしい「げんこつハンバーグ」を注文した。

それにしてもここの店舗の従業員は若い人が多く、活気がある。「お冷はどうですか?」や「焼き加減はどうですか?」などと接客も丁寧でとても愛想が良い。今回の旅の中でもトップクラスに接客が心地良い店なのは間違いない。

 

そして、ハンバーグはレア気味で焼き加減も絶妙だった。味は値段の割に美味しく、コスパも高い。

人気店なのも頷ける。

 

店を出て、静岡駅まで戻り、東海道本線豊橋に着く。ここから本州一の長大路線に乗り換える。飯田線と言う。飯田線は愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ195.7kmの路線である。飯田線を全線乗るだけで7時間程かかる。まさに地獄のような路線と言える。

 

私は豊橋から少し進んだ所にある豊川で下車した。かの有名な「豊川稲荷」が近くにある。正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)らしい。

日本三大稲荷の1つで、千体のきつねがズラリと並んでいるきつね塚は圧巻だ。

 

私はこの旅が無事に終えられるようにお賽銭を入れ、祈っておいた。

 

豊川稲荷の前には名物の「いなり寿司」を売っているお店が何軒かある。私は五目ご飯が入っている稲荷寿司とわさびが入っているいなり寿司を食べた。特にわさび入りは好みだったように思う。

 

豊川稲荷でパワーを貰った後は飯田線の新城行きに乗り込んだ。新城から先は本長篠行きで歩みを進めた。本長篠で1時間程待ち時間があるので、2004年に関口知宏氏が待ち時間に一息つける所を探して訪れた「阿部モータース」という自動車販売店へ私も行ってみることにした。

 

TVで放送された「最長片道切符の旅」と変わらない橋を渡り、すぐ着いた。恐る恐るドアを開けて、「2004年にテレビで関口知宏さんが訪れられましたよね?」と言うと、中の人は「そんなこともあったねー」とニッコリ。重ねて私は「自分も関口さんと同じ旅をしていてあの映像を見てここを訪れました」と伝えると感心してもらい、「中でゆっくりしてって」と招かれた。

 

他に最長片道切符の旅に挑戦している方であの映像を見てこの場所を訪れた人は過去にいなくて自分が初めてだったそうだ。

 

あの映像の裏話なんかを聞いたりして話が弾んで時間は一瞬で過ぎ去った。映像にあった天然の蜂蜜はもうやっていないとのことだが、阿部モータースの見た目はそのままだった。この旅の中でも印象的な思い出になった。

 

名残惜しく本長篠を去って、飯田方面の列車に乗った。TVerを観たり、寝たりなんかしていていたら今日の目的地の飯田に着いた。ホームへ降りると花火が上がっていた。窓口の人に聞くと、祭りが無かったのでその代わりとなる花火を打ち上げているらしい。

 

今日も充実はしていたものの、疲れは一層溜まった。

 

最長片道切符の旅(22日目)

 

8月27日(金)

 

桜木町を始発列車で出発し、根岸線で大船、東海道本線国府津、かつては東海道本線であった御殿場線で沼津、東海道本線で富士、身延線甲府、そして中央東線という経由で勝沼ぶどう郷へやって来た。勝沼と言えばふどうである。駅から1kmほど歩いた所に久保田園がある。ここではたくさんの種類のぶとうを食べることができる。また試食ができ、気に入った品種だけを買える。コロナ対策もしっかりされていてスタッフも親切で丁寧に説明してくれる。

 

私はぶどう狩りをして、ブラックビートという品種を購入した。高級なシャインマスカットは売り切れてしまったが、それでも美味しいぶどうが食べられて満足だ。

 

最長片道切符の旅について紹介すると興味を持ってもらえ、また関口知宏氏を知っているスタッフの人もいた。

 

勝沼を出てからは中央東線で八王子、横浜線で新横浜と来た。

 

新横浜は高校の修学旅行で訪れた以来で、なんだか懐かしい。

 

新横浜からは西へ西へ向かう。今日の朝、横浜から静岡方面へ向かったにも関わらず、今日も同じように進む。経路が被っているのではと疑問に思われる人もいるかもしれない。

 

この辺りは最長片道切符の経路の中でもとりわけ美しい。景色が美しいという意味ではなく、経路が美しい。この辺りは新幹線と在来線が別線扱いとなる。そのため、新幹線と在来線を上手く組み合わせることで同じルートを2度通らず、横浜から静岡方面へ2度も進める。

 

言葉で説明するよりも時刻表に載っている路線図を見た方が早い。まさに「百聞は一見にしかず」という言葉が当てはまる。

 

美しい経路を進んで静岡まで到達したところで今日の日程は終了した。

 

気付けばもう総距離の半分を過ぎていた。

今までがあっという間だったように感じられる。

 

そして、まだまだ若いとはいえ、暑さと疲労で体が相当しんどくなってきた。