ともきちのローカル旅

最長片道切符の旅を完遂!7日目以降は写真挿入が不調のため、とりあえず文章のみ公開します。後々リライト予定

最長片道切符の旅(31日目)

 

9月5日(日)

 

香住の始発列車で2駅先の餘部(あまるべ)に向かった。この列車の運転士は偶然にも昨日話した運転士だった。トンネルを抜け、餘部橋梁を渡るとすぐに餘部に着いた。運転士に会釈をして気動車鳥取へと発車していった。

 

ところで、餘部橋梁は2代存在する。初代は赤い鉄橋で、「餘部鉄橋」と呼ばれ、多くの人に親しまれた。

初代は100年程の歴史があったが、安全性と定時性の確保を目的に架け替え工事が行われ、今の2代目の橋梁ができた。

 

餘部橋梁は日本海と立派な橋梁と列車を融合させた写真が撮れるスポットとして昔から人気を博している。

 

私もその写真が撮れるスポットまで登ってみたが、最高の眺めである。夏も良いが、日本海は冬が似合うので雪景色と絡めた写真も面白いだろう。

 

日本海を眺めながら昨日城崎温泉で買ったカニ寿司の駅弁を食べ、道の駅で香住カニバーガーを食べた。中々のお値段だったが、このような地方にお金を落とすのだから本望である。

 

約3時間半滞在して浜坂行きの気動車に乗った。浜坂から先の鳥取行きも気動車である。この区間はトンネルが多く、そのトンネルも古いので規格の問題で電化できないという。

 

鳥取で1時間と少しの待ち合わせの後、今度は因美線に乗って郡家で降りた。「こおげ」と読む。若桜鉄道が分岐している。

郡家で降りた理由はこのまま智頭に行っても智頭から先の列車がずいぶん先なので郡家の下車印を捺してもらおうと思ったからである。

 

郡家から智頭行きに1時間程揺られ、智頭からは津山行きに乗り換える。今日の目的地は姫路なのだが、智頭急行に乗るのが最短ルートで圧倒的に早く着く。しかし、私は日本一の遠回り切符を持っている。ここでショートカットするわけにはいかない。

 

津山の1駅手前の東津山姫新線に乗り換える。姫路と新見を結んでいるから頭文字を取って姫新線という名が付けられている。

 

ありきたりな田舎を突っ走って行くが、時折「必殺徐行」というものをする。

これは列車の速度を約25km/hに制限することで保守点検にかかる費用をケチるという荒技である。JR西日本の超ローカル線で主に見られる。

自転車を漕ぐスピードと変わらないので当然所要時間は大幅に延びる。

 

東津山から佐用までは約1時間だった。

そして、智頭を出てから佐用までは2時間かかった。智頭から智頭急行佐用まで行くと1時間もかからない。

つまり、1時間以上所要時間に差がある。

 

佐用からは姫路行きに乗って今日の目的地へと向かう。

車内は18時台とあってそれなりの乗車率だった。姫路に近づくにつれて立ち客もちらほらいた。

 

姫路では有名な駅そばを食べたいところだが、最近は野菜不足なのでコンビニでサラダを買って食べた。

最長片道切符の旅(30日目)

 

9月4日(土)

 

京都駅の新幹線中央改札口で鉄道好きな友人と待ち合わせをした。約束の6時半になると友人は現れ、一緒に新幹線の自由席特急券を買った。

 

6時55分発ののぞみで次の新大阪に向かった。新大阪からは30分待ち、こだまで西明石まで行った。使用車両はひかりレールスターの予定だったが、JR西日本保有する九州新幹線仕様の車両に急遽運用が変わった。

 

西明石で明石名物の「ひっぱりだこ飯」を買い、在来線でダウンタウンの聖地・尼崎まで来た。やはり新快速は速い。目を見張るようなスピードで京阪神を駆け抜ける。

 

尼崎からは福知山線で福知山まで着くと列車の本数が大幅に少なくなる。コロナの影響によって減便もされている。

 

友人と昼飯を食べたり、撮り鉄をして時間を潰した。

レアな車両も時々やって来て福知山は気に入った。

 

ずっと1人で旅してきたので友人がいると心強い。

その時ふとことわざが思い浮かんだ。

「旅は道連れ世は情け」

 

福知山で友人と別れ、豊岡行きに乗った。

私の地元路線・草津線で走っている113系という車両に乗った。草津線113系とは少し仕様が違っているが、モーターの音や揺れなどは懐かしさを感じる。100km /h近く出して、揺れは激しい。車窓を見ずに目隠しすれば草津線と思わず答えてしまうだろう。

 

豊岡では1時間程待ち時間がある。1時間では全然観光できない。豊岡はコウノトリ豊岡鞄が有名だが、また別の機会にゆっくり観光してみようと思う。

 

豊岡から先はタラコ色をした国鉄気動車が担当する。車内は学生が多かった。ちょいと走って城崎温泉に着いた。城崎温泉は昨年、開湯1300年を迎えた。とてつもなく歴史が長い。

 

あの某兵庫県議員が足繁く通った温泉なのだからきっと素晴らしい温泉なのだろう。

「この世の中を!この世の中ー(泣)!」

このフレーズで誰のことかはお分かり頂けただろう。

 

駅前からすでに街並みは風情がある。流石温泉地として名高い場所だなと思った。夕食はカニが食べたかった。駅からすぐの所にカニを食べれる店があったので入った。

今日は奮発してみようと思う。焼きがに特大を注文した。6000円もする。観光地価格だが、たらふくカニを食べられて値段のことなどどうでも良かった。

 

カニを食べた後はいよいよ温泉に入る。

本来は外湯巡りをするべきだが、城崎温泉で宿泊はしないため1ヶ所だけにした。私は「御所の湯」という温泉に入った。滝を眺めながらの露天風呂は趣があった。身体もポカポカになって浜坂行きの列車に乗った。

 

辺りは真っ暗で、たまに灯りがポツポツと見えている。国鉄気動車は車内の雰囲気や音は素晴らしく、ゆっくり走ったり、突然スピードを出したりして車窓は真っ暗で見えないのに楽しませてくれる。

これぞ鉄道旅というものである。

豊岡方面からの列車に乗っていたのはほとんど高校生で、皆香住で下車した。

私も今日の宿は香住にあるので下車した。

対向列車が数分間停まっていたので運転士に質問した。

「この車両は運転するのは難しいですか?」

「まぁ慣れだね。電車からこの気動車に来た人なら戸惑うかもしれないけど。」

 

駅から宿までは3分程だった。

宿のフロントの方と山陰本線のことについて少し話した。城崎温泉までは利用者がいるが、城崎温泉から先の浜坂方面は利用者がほとんどおらず、大半が高校生らしい。

この辺りも車社会なのだと実感させられる。

 

最長片道切符の旅(29日目)

 

9月3日(金)

 

下呂から猪谷行きに乗る。相変わらず車窓は最高である。よくこんな所に線路を敷いたものだと思う程際どい所を列車は往く。脱線すれば一巻の終わりだ。さぞかし難工事だっただろう。基本は崖を削って平面を作る。それでどうにもならない時は神通川の対岸へ渡る。それでもダメだとトンネルを掘る。このような区間を走り続け、猪谷に着いた。猪谷でJR東海管轄からJR西日本管轄に変わる。富山行きに乗り換えて富山平野をしばらく走ると終点の富山に到着した。

 

富山からは北陸新幹線で隣の新高岡まで少し移動した。城端線気動車が爆音を轟かせて発車していく光景を見た。駅弁屋があったので富山名物の「ますのすし」を買った。それから再び新幹線で金沢まで行き、特急しらさぎで一気に敦賀までワープした。進行方向左手には建設途中の北陸新幹線の高架がずっと見える。北陸新幹線の金沢ー敦賀間は2024年春に開業予定だ。個人的にはもう新幹線は作らなくても良い気がするが、これも時代の流れなのだろう。

 

確かに新幹線は速くて快適だ。しかし、負の部分も持ち合わせている。新幹線と平行する在来線は儲けが少なくなるため、JRから経営分離されてしまう。こうなるとJRと比べて運賃が高くなり、地域の足となる鉄道の利用者が減ってしまう。

 

敦賀では北陸新幹線の東京ー敦賀間が繋がるまであと940日という看板があった。

 

さて、敦賀に来たら外せない名物がある。それはヨーロッパ軒のソースカツ丼だ。過去に何回か食べてはいるが、何度食べても美味い。カリッとジューシーなカツとソースが上手くマッチングしている。これはぜひおすすめしたい。

 

敦賀からは小浜線で東舞鶴まで行った。

案外スピードを出し、揺れもそこそこあった。地元路線の草津線を少し思い出した。

東小浜で大量の高校生が乗ってきて一気に騒がしくなる。

今の時刻は15時台だからもう学校は終わったのだろう。

 

舞鶴からは鈍行を乗り継いで京都へ向かう予定を立てていたが、特急まいづるが10分後に出て、鈍行を乗り継ぐよりも2時間早く京都に着くもんだから急いで窓口で自由席特急券を購入した。特急まいづるは少し走って綾部に着くと、天橋立や福知山方面からやって来た特急はしだてと連結し、進行方向も変わった。その停車時間に下車印を捺してもらった。

 

景色の良い保津峡や観光地として名高い嵯峨嵐山を通り、綾部から1時間と少しして京都に着いた。

 

京都は何度も来ているため特に何も感想というものはない。

 

明日は友人と会う予定だから早く寝ようと思う。

 

最長片道切符の旅(28日目)

 

9月2日(木)

 

今日は草津線の某駅から出発だ。草津で名物の姥ヶ餅(うばがもち)を買った。私の地元周辺の名物にも関わらず食べたことが無かった。

 

姥ヶ餅はかつての日本一長い歌であった鉄道唱歌にも登場している。

 

鉄道唱歌・38番》

彦根に立てる井伊の城 

草津にひさぐ姥ヶ餅

かはる名所も名物も

旅の徒然のうさはらし

 

クセのある味かなと予想していたが、案外スタンダードな味で食べやすく、良い意味で期待を裏切られた。

 

1つ1つがとても小さいのですぐ食べ終えた。

 

琵琶湖線で山科に着くと今度は湖西線に乗り換える。普通の人は京都まで行くのにそのまま琵琶湖線に乗る。しかし、日本一の遠回り切符はそうはいかない。ここから近江塩津米原、岐阜、富山、金沢、敦賀、綾部を経由して京都に向かう。たった1駅の区間をとんでもなく遠回りする。自分でも阿保らしいと思うが、ぶっ飛んでいて清々しい。

 

故・宮脇俊三氏は自身の本でこう記している。「阿保らしさも極まって襟を正させる趣さえある。無意味や無駄に思える行為にこそかりそめの「生」の「証し」があるのでは。」と。

 

最長片道切符の旅はまさにこうゆうことなのである。

 

 

湖西線は高架でスピードを出せるようになっている。しかし、比良おろしという強風でたびたび止まる。湖西線が止まった時の特急サンダーバード米原経由で運転される。

 

頼もしく12両を繋いでいる新快速は近江今津で4両に切り離され、敦賀方面へと向かう。私は北陸本線との分岐駅である近江塩津米原方面の列車に乗り換えた。トンネルを抜けると余呉湖が見える。余呉の次は木ノ本に停まる。

 

木ノ本はSL北びわこ号の終点駅となっていたが、今はSLの運行はされなくなってしまった。誠に残念でならない。これではどんどん木ノ本は寂しい町になってしまう。

私は木ノ本で下車してお土産屋で甲賀サイダー、アドベリーサイダー、びわ湖サイダーを購入した。

少しでもお金を落とせて良かった。

 

米原まで来ると再びJR東海区間に入る。乗車前に近江牛の駅弁を買った。おばちゃんは愛想が良かった。大垣で列車を乗り継ぎ、岐阜に到着する。次は高山本線に乗り換える。下呂でゆっくりしたかったので特急ワイドビューひだで先を急いだ。

 

下麻生(しもあそう)駅の近くで「うだつ」を付けた家がちらほら見えると宮脇俊三氏の本に書いてあったが、イマイチどれか分からなかった。うだつは商家を中心に隣の家との境に設ける防火壁のことだ。

「うだつが上がらない」という言葉の語源となっている。

 

高山本線は全般的に峡谷や渓流で眺めが素晴らしい。

 

1時間半程だろうか。下呂に着いた。下呂温泉は日本三名泉の1つで、全国的にも知名度が高い。私も小さい頃、家族旅行で下呂温泉に入ったことがある。あれはホタルの時期であったと思う。ホタルを見た記憶がある。

 

夕食を求めて下呂の街を散策していたものの中々開けている見つからない。どこの店も緊急事態宣言の影響で閉めている。仕方がない。旅行中はニュースはほとんど見ていないからどの県に緊急事態宣言が発令されているかをほとんど把握していない。これは私自身少し反省すべきだと思う。しかし、ありがたいことに緊急事態宣言で人が全然いないため密にならずに快適に旅ができている。

 

ようやく飛騨牛焼肉屋を見つけ、たらふく飛騨牛を食べた。ホルモンは臭みがあってイマイチだったが、他のメニューはどれも美味しかった。味は普通に美味しい。だが、女将の接客が悪過ぎる。殿様商売とはこのことである。

おもてなしの心がまるで感じられない。

店を出る際に嫌味を言ってやろうかとも思ったが、最後だけは普通の接客態度になったので言うのはやめにした。

 

それから宿で下呂温泉に入った。肌がすべすべになり、流石日本三名泉だと感じた。

最長片道切符の旅(27日目)

 

9月1日(水)

 

奈良の朝は早い。天王寺方面の始発列車が4時台にある。私はそれで郡山へ行った。郡山で下車した理由はJR東日本の郡山とJR西日本の郡山の下車印を両方欲しかったからである。JR東日本の郡山はすでに捺してもらってある。

 

駅員がいることを祈っていたが、窓口の営業時間外だった。仕方なく時間を潰して王寺まで進んだ。ここは大きな駅で窓口は朝早くからやっているという確信があった。案の定やっていて下車印を捺してもらった。

 

王寺にはたくさんの201系がこれからの出勤を待っていた。201系は引退が近い。この光景は数年後には見られなくなる。

 

少し進んだ久宝寺でも下車印を捺してもらい、いよいよ天王寺へと向かう。天王寺からは本数が多くなる。大阪環状線を西九条経由でぐるりと回って京橋に着いた。そこから学研都市線で木津、大和路線で加茂、関西本線で柘植というルートを通る。柘植は「つげ」と読む。「たくしょく」とは読まない。かつては栄えていたそうだが、今は侘しい。

 

草津線に乗り換えて1駅1駅下車した。私の地元路線なので草津線の全駅の下車印を集めたかった。

 

寺庄では駅の窓口の方と鉄道話に花を咲かせた。

「鉄道はどんどん利用者が減って寂しくなってきていますねー。旅情が失われつつあります。タイムマシンがあれば昔にタイムスリップして50年代から80年代あたりの鉄道に乗ってみたいです!」

「昔の鉄道は本当に面白かったよー。優等列車もたくさん走っていたからねー。タイムマシンかー、ドラえもんに頼まなきゃね!」

 

 

私は草津線内の某駅で下車して実家で一夜を明かした。

最長片道切符の旅(26日目)

 

8月31日(火)

 

白浜に来たら食べたいものがある。それは口熊野食堂の口熊野ラーメンだ。数年前に訪れて美味しかったのでリピートしてみようと思う。

 

駅から案外離れた所にあるため、白浜駅のレンタサイクルを利用することにした。荷物をカゴに載せて漕ぎ出すと反応が良い。空気圧が高めなのだろうか。スイスイ進む。この手のチャリは大体漕ぐのが重いが、今回はスポーティーなチャリのように軽い。今日も相変わらず暑いが、暑さが無ければどこまでも行ける気さえした。

 

20分程して目的地に着く。ちょっぴり懐かしい気持ちになる。

 

出されたお冷をがぶ飲みしてラーメンが出されるのを待った。まずはスープを飲む。ラーメンは基本どの味も食べられてこだわりみたいなものは私には無いが、醤油とんこつの味は絶品だった。麺無しにスープだけでもいけてしまう。麺ももちろん美味しいが、このスープが素晴らしいため全部飲み干した。白浜に来る際は毎回ここに寄りたいと思った。

 

駅まで戻り、今日も最長片道切符のルート上を進む。白浜から紀伊田辺、御坊、和歌山と乗り継ぎ、和歌山線で高田まで行った。高田からは万葉まほろば線で桜井や天理などを通って奈良まで進んで行く。万葉まほろば線は愛称で正式には桜井線と言う。

 

万葉まほろば線の車内は夕方の時間帯に通ったためか立ち客が出る程混んでいた。車内の高校生くらいの女子たちが関西弁で話している。イントネーションも関西風で関西へ来たことを実感して少し安堵した。

 

途中の駅で耳に大量のピアスを付けている女子が乗り込んできた。中学生か高校生っぽいが、これを許す学校はあるのだろうか。もしかして大学生なのか。ちょっと怖かった。私はその界隈は全くの無知だが、何事も度を過ぎると逆効果になる。

 

奈良に着いてからは奈良公園で鹿と触れ合った。日も暮れていて鹿も大人しい。奈良の鹿は餌に貪欲で宮島の鹿よりも品が無いと思っていたが、夜は逆に私に怖がっている。それだと私もつまらないから鹿せんべいで注目を集めようとしたが、この時間はもう鹿せんべいは売っていなかった。残念ではあるが、奈良なんていつでも来れる。また別の機会にしようと思う。

 

明日はいよいよ私の地元である滋賀を通る。

なんだか一層旅も終わりに近づいて来る感じがして少し寂しい気持ちになった。

 

最長片道切符の旅(25日目)

 

8月30日(月)

 

今日は久しぶりに始発列車に乗ることした。最近は疲れや昼食の都合上、出発時間が遅れていた。

 

名古屋から関西本線で亀山へ向かう。関西本線はかつては重要な幹線として輸送を担っていたが、東海道本線東海道新幹線にメインの座を奪われたため、今は本線と呼ぶのに相応しくなくなってしまった。平行する近鉄に完全に負けている。関西本線は本数もさほど無く、所要時間も近鉄に比べてかかるため、近鉄の独壇場になっている。しかし、JR東海東海道新幹線というドル箱路線があるため、この競走に負けていても問題は無い。

 

半分程進んで途中の四日市で下車印を捺してもらおうしたものの、窓口はまだやっていなかった。

 

亀山に着くと、これから長い長い紀勢本線が待っている。途中に通る津は日本一短い駅名である。松阪では特急券や松坂牛弁当を買って特急ワイドビュー南紀に乗車した。ディーゼル特急なので加速する時の音がやっぱり良い。しかし、線路が悪いのかかなり揺れる。こんなに揺れて大丈夫なのかとも思う程だった。

 

今日は晴れている。この旅1番の快晴で心も晴れやかになる。海も見えてくる。まさにオーシャンビューと言うべき光景に目を惹かれた。

 

車掌は検札で切符を見て驚き、興味津々で少し話した。新宮で車掌が交代する。新宮まではJR東海の車掌だが、新宮からはJR西日本の車掌になる。この車掌も興味津々で愛想が良かった。

特急列車の車掌は愛想が良い人が多い。流石だなと思った。

 

終点の紀伊勝浦では白浜までの特急券を買って駅から徒歩2、3分の所にある「めはり寿司二代目」で勝浦名物のめはり寿司と、同じく名物のまぐろを頂いた。めはり寿司紀州・熊野地方の郷土料理で日本最古のファストフードだそうだ。高菜の漬物でおにぎりを巻くという非常にシンプルな料理で味付けも優しい。優しさの中に深い味わいがあって美味しかった。

また、勝浦は生まぐろの水揚げ量日本一でこれもまた美味い。

 

めはり寿司、まぐろ丼、まぐろの串カツなどが定食の内容だったが、どれもクオリティが高くて予想を遥かに超えた。

 

大満足の昼食後は特急くろしおに乗って白浜に行く。たまたま座席のテーブルに下車印まみれの最長片道切符を広げていたら男性の方に声をかけられた。還暦を過ぎた旅好きの方で今はJR西日本管内を旅しているという。また、宮脇俊三氏のことも知っていて時間を忘れる程話し込んだ。宮脇俊三氏を知っている人に出会ったのは倶知安で出会った人以来2人目だ。鉄道旅の魅力を共有できて良い時間を過ごせた。

 

本当に旅は一期一会なのだとつくづく思う。もし、この特急くろしおのこの車両に乗って最長片道切符を広げていなかったら話すことも出逢うことも無かったのである。

 

人生は何が起こるか分からない。だから面白い。辛いことも大変なこともたくさんあるが、人生は捨てたもんじゃない。きっとどこかで素晴らしい出逢いや経験が待ち受けている。

そう私は信じている。

 

白浜に着いてからはバスに乗って三段壁へ寄った。三段壁は数年前の家族旅行で訪れたが、三段壁洞窟は行っていないので入場料を払って行ってみた。波が岩壁に打ちつける光景は見応えがあった。

今日は快晴で三段壁からの眺めも素晴らしい。

 

そして、再びバスに乗って白良浜(しららはま)にも寄った。ちなみにここも以前に訪れた。さらさらの白い砂浜は美しかった。ムキムキお兄さんやビキニお姉さんがたくさんいた。カップルや大学生らしき集団もいて、賑やかであった。

私は水平線に沈む夕陽を見ようと待っていたが、あと少しのところで雲に隠れてしまった。またリベンジしに来ようと思う。

 

明日からは大阪近郊区間に入る。何と言うべきだろうか。今までは未知の路線ばかり乗ってきたが、乗り慣れた路線は安心感がある。