最長片道切符の旅(38日目)
9月12日(日)
本来の予定であれば門司港に寄り道して今日のうちに別府や大分まで行くということになっていた。しかし、大学の授業が少なくとも月末まで基本オンライン授業になったので、旅の延長を決定し、今日はのんびり小倉で宿泊することにした。どのくらい延長するかは確定はしていないが、4〜6日程延長になるのではないかと思う。
下関からJR九州の国鉄車両が迎えに来て九州に連れて行ってくれる。これに乗れば本州の旅は終わり、新たに九州の旅がスタートする。ちょっぴり寂しい気持ちのまま席に座り、発車時刻になると扉が閉まった。もうこの旅において本州に後戻りはできない。もし、安全やマナーを無視すればこの車両は窓が開くのでそこから飛び降りる選択肢はある。もちろんそんなことはしないが。
下関を発車してから2分程だろうか。列車は関門トンネルに突入した。「ゴォォォー」と音を立てながら九州へ繋がるトンネル内を駆け抜ける。外の光が見えてついに旅の38日目にして九州に上陸した。
私は小学生の頃に博多に訪れて以来の九州で、さっきとは打って変わって高揚感に包まれた。
門司に到着してから1度改札を出て門司港まで新たに切符を買った。門司から門司港までは最長片道切符のルート外のため別途乗車券を買う必要があるのだ。
門司港はレトロな街として有名でこの日も観光客が多かった。おそらくコロナ禍でなければもっといるのであろう。
レトロな建物や関門大橋、港なんかを眺めて黄昏ていた。普段はイけていない平凡な大学生の私だが、門司港で黄昏ている様は趣があるように自覚した。
ベンチでしばらく腰掛けていると、メロウな音楽が流れた。どうやらこれから橋の開閉を行うらしい。先程まで歩行者が歩いていた橋がメロウな音楽と共に開いていく。背景の建物とも相まって「いとをかし」とでも言っておこうか。
人々の視線が一気に橋に集中する。待機していたクルーズ船が開いた橋の下を颯爽と通り抜けていく。良い光景を見た。
昼飯はあらかじめ決まっている。門司港名物の焼きカレーが食べられる「こがねむし」という店に入った。外観の時点でレトロである。
店内も風流で、店のおばちゃん(いや、おば様と言おうか)も愛想が非常に良く、また焼きカレーも相当美味しかった。香ばしいかをりとチーズがたまらない。
価格も安くて門司港に来たら絶対に立ち寄るべき店だと感じた。
駅に戻り、次の列車まで時間があるので駅舎やホームなどをゆっくり見て回った。駅もレトロで歴史を感じる。
門司港は気軽に訪れようと思って来たが、予想を遥かに超えるような場所だった。ロマンと情緒溢れる最高の街で、ここは他人に自信を持っておすすめ出来る。
門司港から門司まで移動して再度経路に復帰する。今日の宿が西小倉にあるのでそこまで進んで今日は終了した。
最長片道切符の旅(37日目)
9月11日(土)
小野田で泊まったホテルは無料の朝食が付いていた。私は素泊まりで十分ではあるものの、朝食が有れば嬉しいし、朝から活力が湧いてくる。
山陽本線でお隣の厚狭に着いた。厚狭は私にとって馴染みがある。
小学1年生の頃、学校の先生に駅名クイズを出してみた。そして、その時に出題したのが厚狭である。先生は答えられず、心の中でガッツポーズをしたのをよく覚えている。
厚狭は「あさ」と読む。
そんな厚狭からは美祢線に乗り換える。ここも閑散とした路線で寂れている。
30分で美祢に着いた。この辺りではそこそこ民家も周りにある駅なので窓口はあると思っていたが、今年の5月末で窓口の営業は終了して6月からは無人駅になった。どんどん鉄道利用者が減っていっているのだろう。少子高齢化の波が地方を襲っている。モータリゼーションの波とコロナの影響が追い討ちをかけている。
駅前からは「あんもないと号」というバスが出ていて秋芳洞まで連れて行ってくれる。車内は私と男性の2人だけだった。
20分程バスに揺られて秋芳洞に着いた。前から訪れたかった場所なので心躍る。
土曜日にも関わらず、人が全然いなかったので快適に見て回れた。9時台という時間帯とコロナの影響なのかもしれない。
秋芳洞の中は言葉ではとても言い表せない。実際に見れば理解できるだろう。その雄大さに圧倒された。これが自然の神秘というものだろうか。とにかく素晴らしかった。
鍾乳洞の出口の横にあるお店でハヤシライスとソフトクリームを頂いた。ちょうどテレビでは大リーグの中継をやっていた。大谷翔平が2番ピッチャーで出場していた。それを店のおじさんと一緒に観ていたが、4回途中で降板して2桁勝利&2桁本塁打という快挙はお預けとなった。
だが、メジャーの舞台で二刀流で活躍できる才能と努力には惚れ惚れする。是非ともこれからも新たな歴史を作っていってほしい。
店を出て、再び来た道を戻る。さっきよりも人は増えてはいたが、混雑するほどではなかった。
バス停に辿り着き、「あんもないと号」で駅前へ向かった。今度は車内に乗客は私1人だけだった。
美祢から長門市行きに乗った。相変わらず1両のディーゼルカーだ。
時刻表で次の列車を調べてみると「快速〇〇のはなし」の運行日で1時間待てば乗車できることが分かったので、券売機で指定券を急遽購入した。
列車は2両編成で1号車が「和」、2号車が「洋」をモチーフにしているらしい。私は「和」のほうにした。
1人席を取ったので、席は窓を向いている。
今日は快晴で日本海も青くよく見える。
日本海はこの旅で度々見てきたが、全く飽きなかった。
途中、特牛という駅に停車した。これは全国でも有数の難読駅名として知られている。まず初見では読めない。もし初見で読めたなら宇宙レベルの天才だろう。「こっとい」と読む。
どの場所かは忘れたが、日本海がよく望める場所で列車は少し停車した。太陽も大分傾いて海は煌びやかである。シャンパンゴールドとでも言おうか。
列車は日本海から離れると山陽本線と幡生で合流する。幡生の次の下関で私は下車した。〇〇のはなしは新下関行きなので下関で進行方向を変える。私は手を振り、列車を見送った。
今日で本州は終わりとなり、明日からは最終エリアの九州に上陸する。本州はたしかに長かったが、あっという間に時が過ぎ去った。
旅は終盤に差し掛かる。ゴールまであともう少しだが、「このままもっと旅を続けていたい」という気持ちでいっぱいだった。
最長片道切符の旅(36日目)
9月10日(金)
朝の8時前にホームで列車を待っていると多数の高校生が下車して歩いて行った。周辺を調べてみると、浜田高校があるらしい。偏差値的におそらく進学校なのだろう。
私は8時ちょうどの特急スーパーおき1号新山口行きに乗車した。振り子式車両なのでカーブを曲がるごとに車体を傾けている。その傾き具合は中々深くて面白かった。
検札に来た車掌と話が弾んだ。この最長片道切符は話のネタになる。
昨日から山陰本線を西へ西へと走って来たが、益田からは山口線で南下する。山陰本線も相当ひっそりとしているものの、山口線はそれを上回る。周りは山ばかりである。
益田からは30分で津和野に到着した。私は車掌に手を振り、向こうも振り返してくれた。
津和野といえば、マニアには有名な駅だ。いや、マニア以外にも知っている人はある程度いると思う。津和野は「SLやまぐち号」の終点となっている。
駅前にはD51というSLが静体保存されていた。
「デゴイチ」はいつ見てもカッコいい。
私の祖父も昔運転していた。
津和野で何か買おうとこじんまりとした商店に入店し、津和野名物らしい「葉わさび醤油漬け」を購入した。
津和野からは山口行きで山口に着くと、駅から少し歩き、春来軒という店で山口県のソウルフードと言われる「ばりそば」を食べた。皿うどんに似た食べ物で、私は大盛りを頼んだら予想以上のデカ盛りで運ばれてきて食べ切れるか心配になった。味は絶品とまではいかないけれど、普通に美味しかった。
山口から新山口まで移動し、今度は山陽本線と合流する。3日ぶりの山陽本線だが、幹線だから安心感がある。
30分以上も待ち時間があるが、そんなものはもう慣れた。
宇部からちょっぴり走って居能に着き、おのだせんの列車で今日の目的地の小野田に着いた。
ホテル近くのスーパーで夕食を買いに行くとちょうど半額になる時間帯だった。いや、むしろそれを狙って行った。大体7時半頃だったと記憶している。
最長片道切符の旅(35日目)
9月9日(木)
今日は特急やくものグリーン車に乗る。グリーン車に乗る予定は組んでいなかったが、やくもの使用車両は先が長くないから乗ってみようと思い立った。特急やくものグリーン車は高校1年生の時に乗った以来だ。
米子でグリーン券を購入して特急やくも1号出雲市行きに乗った。大体50分で出雲市に着くので少々もったいない気はするが、後で後悔はしたくない。そして、また別の機会に岡山から出雲市の全区間を乗ってみようと思う。
安来、松江と停車して、松江を出た辺りから宍道湖(しんじこ)が見えてくる。しじみで有名だ。大きいしじみは目を見張るものがある。
空は昨日と打って変わって晴れている。心も晴れやかになる。
そして、玉造温泉や宍道を過ぎるとすぐに終点の出雲市に着いた。まだまだ乗っていたい気持ちに駆られた。
出雲市からは大田市まで行って、そこからバスで石見銀山へ観光する予定であったが、江南ー田儀間が不通になっていて列車の時刻が変わって到着が遅くなるため、急遽出雲大社に参拝することに変更した。
一畑電鉄に乗って出雲大社前に着いてから少し歩くと、立派な出雲大社が見えてきた。
出雲大社は縁結びの神・福の神として名高い。
私は今、彼女は別に欲しいとは思わないから旅の無事と様々な人との素敵な出逢いがあるように祈った。
出雲大社を一通り見て回って、再び一畑電鉄で出雲市に戻った。そこから江南まで国鉄型気動車で移動して江南からは代行バスに乗った。この旅で何度代行バスに乗ったのだろうか。
江南ー田儀間は地滑りが起きて不通になっているらしい。夏の時期はどうしても全国で不通区間が多くなる。仕方ない。
田儀からは鉄道に復帰する。窓から見える日本海は晴れて美しい。
大田市を過ぎてからは水平線に沈みゆく太陽の姿があった。実に優美である。
江津まで来た。数年前に三江線が廃止になったが、その終着駅であった。
江津の駅の近くで刺身を食べ、今日の目的地の浜田に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
旅も終盤に差し掛かり、少し寂しげな気持ちが混じってくる。
最長片道切符の旅(34日目)
9月8日(水)
たっぷり睡眠を取って迎える朝は気持ちが良いと思ったが、寝過ぎると逆にしんどい。
今日は芸備線に乗車する。芸備線の広島近郊区間は一定数需要があるのだが、特に三好から先の区間は超が付くほど閑散としている。
7時前の芸備線の列車は国鉄型気動車のキハ40やキハ47が6両も繋がれている。いつも1両や2両といった光景を見ているため、貫禄に圧倒された。
広島を始発で出ようかと考えたが、三好から先は本数が極端に少なく、昼過ぎまで列車が無い。三好でどうしても長い待ち時間ができてしまう。そのため、私は下車印を集めて時間潰しをすることにした。
広島から1駅の矢賀で捺してもらい、安芸矢口、下深川、甲立と集められた。
志和口では反対列車待ち合わせのため、20分も停車する。時間がもったいないと感じ、駅前の古びた商店で何か買ってお金を落とすことにした。野菜、果物、調味料といったものがメインだった。私は岡山県産のシャインマスカットを購入した。
三好では同じく芸備線の備後落合行きが2時間後なので何か昼飯を食べようと思った。外は大雨であまり遠くへは行けない。駅から徒歩1分の「たむ商店」という広島風のお好み焼きの店に入った。お好み焼きは安定の美味しさで牡蠣のバター醤油焼きも絶品だった。
備後落合行きの列車の乗車は鉄道マニアがほとんどで、一般の人らしき人はいないように思えた。
大雨の影響で備後落合行きの列車は徐行運転がしばらく続き、大幅に遅れて備後落合に到着した。備後落合は木次線(きすきせん)との接続駅でもある。14時台は新見行き、三好行き、宍道(しんじ)行きの3列車が集結する。この山間に佇む秘境駅の1番の見所と言って良いだろう。
閑散としている駅にマニアも溢れている。
そして、新見行きに乗れば宿泊予定の米子には日が暮れた頃に着ける。しかし、私はその列車をパスした。
備後落合を堪能したかったからである。
備後落合から東城・新見方面への列車は1日3本しか無い。14時台を見送ったので次は約6時間後の20時台まで列車は来ない。
20時台の列車に乗っても深夜にはなるが米子には着ける。
6時間は案外退屈では無かった。駅の資料を読んだり、駅ノートを読み書きしたり、ブログを書いたり、YouTubeを観たり、家族と電話をしていたら時間は一瞬にして過ぎ去った。
20時台の新見行きの列車の運転士と少し話したりもした。
誰もいない備後落合のホームを1両の気動車がゆっくりと発車する。
備後落合から先の東城までは日本一の赤字区間と言われている。この区間に限れば営業係数は10万を超えている。言い換えると、100円稼ぐのに10万円以上かかる。
ちなみに芸備線全体では1600とか1700くらいだったと思う。広島近郊の需要は一定数あって、それで賄っている。
備後落合の隣の駅・道後山に着く。1人、小太りの男性が乗ってきた。
そして、それから先の駅では誰1人として乗ってこなかった。
1時間ちょっと走り、伯備線との分岐点の備中神代に着いた。そこから最終の米子行きで米子へ向かった。強い眠気に襲われて米子までほとんど寝ていた。23時25分、今日の目的地である米子に到着した。
今日は閑散区間のオンパレードとも言える日だった。夜を遅いのでシャワーを浴びてすぐに寝た。
最長片道切符の旅(33日目)
9月7日(火)
まずは倉敷から山陽本線を通って三原まで行く。途中には金光教で有名な金光や観光地で知られる尾道なんかがある。それらはまたゆっくり別の機会に訪れたい。
それにしても岡山近郊は国鉄車両ばかりで嬉しい。製造から40年以上経った車両が当たり前のように走っている。私が生まれる前の時代にタイムスリップしているかのようで何とも不思議な気持ちになる。
三原に着くと呉線に乗り換える。先日の大雨の影響で三原ー竹原間は運転を見合わせており、代行バスが走っている。代行バスの時間まで1時間弱あったので「あなごあいのせ重」という駅弁を買って食べた。
関東風の煮あなごと関西風の焼きあなごを食べ比べできる。煮あなごは柔らかくあなごの素材が楽しめ、焼きあなごは香ばしくタレとも合ってどちらも美味しかった。
代行バスは10人くらいを乗せて三原を発車した。
瀬戸内海を見ながら進んで行くと忠海へ停車した。忠海はうさぎの島として有名な大久野島への船が出ている。予定を変更して訪れることも考えたが、予定通りゆっくりした日にしたかったので今回はスルーした。
竹原からは鉄道に復帰する。広行きの列車に乗った。ここでも時折必殺徐行が行われた。呉線でもあるとは知らなかったので驚いた。
そして、眠たくなったので20分程寝た。
広からは快速安芸路ライナー広島行きで山陽本線との分岐点の海田市まで行った。海田市で下車したのは分岐駅で下車印を捺してもらいたかったからである。
その後、山陽本線の列車でとうとう広島に着いた。
ちなみに、広島近郊は数年前まで国鉄車両ばかり走っていたが、新型車両が次々に投入され、ガラリと様子が変わってしまった。
広島では平和記念資料館に行く予定だったが、緊急事態宣言で臨時休業となっていた。
原爆ドームや平和記念公園だけでも見に行こうとも思ったが、私は過去に少なくとも2回は訪れているので広島駅周辺でゆっくりすることにした。
お昼の時間だったので広島駅の中にある「みっちゃん」という広島風お好み焼きの元祖の店でお好み焼きを食べた。
関西のお好み焼きも美味しいが、広島のお好み焼きも当たり前のように美味しい。
広島風はそばが入っている。
基本何でも食べられる私はどちらが美味しいとかいう優劣は付けられない。優柔不断なのである。
お好み焼きを食べてから同じくエキナカにあるお土産コーナーで「うえの」という店のあなごめしを買った。ここは100年以上も歴史がある。
15時にホテルのチェックインを済ませ、シャワーを浴びて体を休めた。このごろなんだかんだで忙しくて疲れも溜まっていたからちょうど良い。
インスタントコーヒーとあなごめしを夕食にした。本当は牡蠣の食べ放題の予定だったが、店が臨時休業していた。
明日は超ローカル線の芸備線が待ち受けている。
体力の回復に努めるために早く寝た。
最長片道切符の旅(32日目)
9月6日(月)
姫路から山陽本線で英賀保や網干などを通って相生に着いた。駅近くのスーパーでチキンカツと弁当を購入した。どちらも200円を切っている。この旅ではコンビニで買い物をすることが多かったのでこの値段には驚きだ。スーパーは本当に安いんだと改めて実感した。
相生からは赤穂線に入る。ほんの少しの乗車で播州赤穂に着くとこれから先の区間を往く列車は湘南色だった。私の地元路線・草津線でかつてたくさん見られたカラーリングだ。草津線は113系で、ここは115系である。若干形式は違うがほぼ見た目に違いはない。マニアな人以外が見れば同じ車両だと言うだろう。
播州赤穂からは所々太平洋が見えた。
今日は晴れている。
日本海は冬の寒々とした曇り空がよく似合うが、太平洋は抜けるような青空がお似合いだ。
津山線はタラコ色のヨンマルが走っている。こうゆう車両が田舎道を走ると様になる。
金川で津山行きを待っている間、さっきスーパーで買ったやつを食べた。
快速ことぶきの津山行きに乗り込んで津山の少し手前の駅である亀甲(かめのこう)まで行った。
亀甲は駅舎が亀の形をしていてユニークで面白い。
本物の亀だっている。亀が動いて「ピチャピチャ、カタカタ」と音が聴こえる。
ところで、亀甲という地名は無い。なぜ亀甲という名前の駅になったのだろうか。
それは、こうゆうエピソードが関係している。亀甲駅から少し歩いていくと、亀の形をした大きな岩がある。遥か昔、旅人がこの場所で行き倒れ、それを哀れに思った町の人がこの地に埋葬をした。すると、弘法大師の尊像を乗せた大きな岩が地面からせり上がってその形が亀に似ていることから亀甲岩と名づけられた。
亀甲を満喫した後、津山行きのディーゼルカーで津山まで抜け、姫新線に乗り換えて新見を目指した。この辺りの姫新線はおよそ2時間に1本程度だからしっかり時間を確認しておかないと大変なことになる。
車内は1両編成ともあってある程度の人が乗っている。そのうち高校生が半分くらいを占めている。
途中の中国勝山で多くの高校生が降りた。
津山ー新見間の途中駅ではここが1番大きい駅だろう。
2時間弱かかってようやく新見(にいみ)に着いた。新見で特急やくもに乗りたくなったので自由席特急券を買った。特急やくもに使われている車両は唯一の定期国鉄型特急で私が好きな車両である。自然振り子という機能が備っており、カーブで車体を傾けて高速化を図っている。
1時間足らずで倉敷に着いた。まだまだ乗っていたい気持ちでいっぱいだった。名残惜しく特急やくもを見送ると美観地区へ足を運んだ。
何回か来たことはあるが、夜に来たのは初めてである。人もまばらで実に優美だった。
橋の上で写真を撮っている人がいたので撮り方を教えてあげた。それから話が弾み、インスタで友達になった。京大生で私の1コ上らしい。
今は1週間程度自転車で旅をしているとのことだった。私も自転車は好きなので羨ましかった。
何度も言うが、旅をしていると思いがけない出会いがたくさんある。やっぱり旅は素晴らしい。そう感じた夜だった。