ともきちのローカル旅

最長片道切符の旅を完遂!7日目以降は写真挿入が不調のため、とりあえず文章のみ公開します。後々リライト予定

最長片道切符の旅(35日目)

 

9月9日(木)

 

今日は特急やくものグリーン車に乗る。グリーン車に乗る予定は組んでいなかったが、やくもの使用車両は先が長くないから乗ってみようと思い立った。特急やくものグリーン車は高校1年生の時に乗った以来だ。

 

米子でグリーン券を購入して特急やくも1号出雲市行きに乗った。大体50分で出雲市に着くので少々もったいない気はするが、後で後悔はしたくない。そして、また別の機会に岡山から出雲市の全区間を乗ってみようと思う。

 

安来、松江と停車して、松江を出た辺りから宍道湖(しんじこ)が見えてくる。しじみで有名だ。大きいしじみは目を見張るものがある。

空は昨日と打って変わって晴れている。心も晴れやかになる。

 

そして、玉造温泉宍道を過ぎるとすぐに終点の出雲市に着いた。まだまだ乗っていたい気持ちに駆られた。

 

出雲市からは大田市まで行って、そこからバスで石見銀山へ観光する予定であったが、江南ー田儀間が不通になっていて列車の時刻が変わって到着が遅くなるため、急遽出雲大社に参拝することに変更した。

 

一畑電鉄に乗って出雲大社前に着いてから少し歩くと、立派な出雲大社が見えてきた。

 

出雲大社は縁結びの神・福の神として名高い。

私は今、彼女は別に欲しいとは思わないから旅の無事と様々な人との素敵な出逢いがあるように祈った。

 

出雲大社を一通り見て回って、再び一畑電鉄出雲市に戻った。そこから江南まで国鉄気動車で移動して江南からは代行バスに乗った。この旅で何度代行バスに乗ったのだろうか。

 

江南ー田儀間は地滑りが起きて不通になっているらしい。夏の時期はどうしても全国で不通区間が多くなる。仕方ない。

 

田儀からは鉄道に復帰する。窓から見える日本海は晴れて美しい。

 

大田市を過ぎてからは水平線に沈みゆく太陽の姿があった。実に優美である。

江津まで来た。数年前に三江線が廃止になったが、その終着駅であった。

 

江津の駅の近くで刺身を食べ、今日の目的地の浜田に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。

 

旅も終盤に差し掛かり、少し寂しげな気持ちが混じってくる。

 

 

最長片道切符の旅(34日目)

 

9月8日(水)

 

たっぷり睡眠を取って迎える朝は気持ちが良いと思ったが、寝過ぎると逆にしんどい。

 

今日は芸備線に乗車する。芸備線の広島近郊区間は一定数需要があるのだが、特に三好から先の区間は超が付くほど閑散としている。

 

7時前の芸備線の列車は国鉄気動車のキハ40やキハ47が6両も繋がれている。いつも1両や2両といった光景を見ているため、貫禄に圧倒された。

 

広島を始発で出ようかと考えたが、三好から先は本数が極端に少なく、昼過ぎまで列車が無い。三好でどうしても長い待ち時間ができてしまう。そのため、私は下車印を集めて時間潰しをすることにした。

 

広島から1駅の矢賀で捺してもらい、安芸矢口、下深川、甲立と集められた。

 

志和口では反対列車待ち合わせのため、20分も停車する。時間がもったいないと感じ、駅前の古びた商店で何か買ってお金を落とすことにした。野菜、果物、調味料といったものがメインだった。私は岡山県産のシャインマスカットを購入した。

 

三好では同じく芸備線の備後落合行きが2時間後なので何か昼飯を食べようと思った。外は大雨であまり遠くへは行けない。駅から徒歩1分の「たむ商店」という広島風お好み焼きの店に入った。お好み焼きは安定の美味しさで牡蠣のバター醤油焼きも絶品だった。

 

備後落合行きの列車の乗車は鉄道マニアがほとんどで、一般の人らしき人はいないように思えた。

 

大雨の影響で備後落合行きの列車は徐行運転がしばらく続き、大幅に遅れて備後落合に到着した。備後落合は木次線(きすきせん)との接続駅でもある。14時台は新見行き、三好行き、宍道(しんじ)行きの3列車が集結する。この山間に佇む秘境駅の1番の見所と言って良いだろう。

閑散としている駅にマニアも溢れている。

 

そして、新見行きに乗れば宿泊予定の米子には日が暮れた頃に着ける。しかし、私はその列車をパスした。

備後落合を堪能したかったからである。

 

備後落合から東城・新見方面への列車は1日3本しか無い。14時台を見送ったので次は約6時間後の20時台まで列車は来ない。

 

20時台の列車に乗っても深夜にはなるが米子には着ける。

 

6時間は案外退屈では無かった。駅の資料を読んだり、駅ノートを読み書きしたり、ブログを書いたり、YouTubeを観たり、家族と電話をしていたら時間は一瞬にして過ぎ去った。

 

20時台の新見行きの列車の運転士と少し話したりもした。

 

誰もいない備後落合のホームを1両の気動車がゆっくりと発車する。

 

備後落合から先の東城までは日本一の赤字区間と言われている。この区間に限れば営業係数は10万を超えている。言い換えると、100円稼ぐのに10万円以上かかる。

ちなみに芸備線全体では1600とか1700くらいだったと思う。広島近郊の需要は一定数あって、それで賄っている。

 

備後落合の隣の駅・道後山に着く。1人、小太りの男性が乗ってきた。

 

そして、それから先の駅では誰1人として乗ってこなかった。

 

1時間ちょっと走り、伯備線との分岐点の備中神代に着いた。そこから最終の米子行きで米子へ向かった。強い眠気に襲われて米子までほとんど寝ていた。23時25分、今日の目的地である米子に到着した。

 

今日は閑散区間のオンパレードとも言える日だった。夜を遅いのでシャワーを浴びてすぐに寝た。

 

最長片道切符の旅(33日目)

 

9月7日(火)

 

まずは倉敷から山陽本線を通って三原まで行く。途中には金光教で有名な金光や観光地で知られる尾道なんかがある。それらはまたゆっくり別の機会に訪れたい。

 

それにしても岡山近郊は国鉄車両ばかりで嬉しい。製造から40年以上経った車両が当たり前のように走っている。私が生まれる前の時代にタイムスリップしているかのようで何とも不思議な気持ちになる。

 

三原に着くと呉線に乗り換える。先日の大雨の影響で三原ー竹原間は運転を見合わせており、代行バスが走っている。代行バスの時間まで1時間弱あったので「あなごあいのせ重」という駅弁を買って食べた。

関東風の煮あなごと関西風の焼きあなごを食べ比べできる。煮あなごは柔らかくあなごの素材が楽しめ、焼きあなごは香ばしくタレとも合ってどちらも美味しかった。

 

代行バスは10人くらいを乗せて三原を発車した。

 

瀬戸内海を見ながら進んで行くと忠海へ停車した。忠海はうさぎの島として有名な大久野島への船が出ている。予定を変更して訪れることも考えたが、予定通りゆっくりした日にしたかったので今回はスルーした。

竹原からは鉄道に復帰する。広行きの列車に乗った。ここでも時折必殺徐行が行われた。呉線でもあるとは知らなかったので驚いた。

そして、眠たくなったので20分程寝た。

 

広からは快速安芸路ライナー広島行きで山陽本線との分岐点の海田市まで行った。海田市で下車したのは分岐駅で下車印を捺してもらいたかったからである。

 

その後、山陽本線の列車でとうとう広島に着いた。

 

ちなみに、広島近郊は数年前まで国鉄車両ばかり走っていたが、新型車両が次々に投入され、ガラリと様子が変わってしまった。

 

広島では平和記念資料館に行く予定だったが、緊急事態宣言で臨時休業となっていた。

 

原爆ドーム平和記念公園だけでも見に行こうとも思ったが、私は過去に少なくとも2回は訪れているので広島駅周辺でゆっくりすることにした。

 

お昼の時間だったので広島駅の中にある「みっちゃん」という広島風お好み焼きの元祖の店でお好み焼きを食べた。

 

関西のお好み焼きも美味しいが、広島のお好み焼きも当たり前のように美味しい。

島風はそばが入っている。

基本何でも食べられる私はどちらが美味しいとかいう優劣は付けられない。優柔不断なのである。

 

お好み焼きを食べてから同じくエキナカにあるお土産コーナーで「うえの」という店のあなごめしを買った。ここは100年以上も歴史がある。

 

15時にホテルのチェックインを済ませ、シャワーを浴びて体を休めた。このごろなんだかんだで忙しくて疲れも溜まっていたからちょうど良い。

 

インスタントコーヒーとあなごめしを夕食にした。本当は牡蠣の食べ放題の予定だったが、店が臨時休業していた。

 

明日は超ローカル線の芸備線が待ち受けている。

体力の回復に努めるために早く寝た。

最長片道切符の旅(32日目)

 

9月6日(月)

 

姫路から山陽本線英賀保網干などを通って相生に着いた。駅近くのスーパーでチキンカツと弁当を購入した。どちらも200円を切っている。この旅ではコンビニで買い物をすることが多かったのでこの値段には驚きだ。スーパーは本当に安いんだと改めて実感した。

 

相生からは赤穂線に入る。ほんの少しの乗車で播州赤穂に着くとこれから先の区間を往く列車は湘南色だった。私の地元路線・草津線でかつてたくさん見られたカラーリングだ。草津線113系で、ここは115系である。若干形式は違うがほぼ見た目に違いはない。マニアな人以外が見れば同じ車両だと言うだろう。

 

播州赤穂からは所々太平洋が見えた。

今日は晴れている。

日本海は冬の寒々とした曇り空がよく似合うが、太平洋は抜けるような青空がお似合いだ。

 

東岡山で相生で分岐した山陽本線と再び合流する。

 

岡山に着いて津山線金川行きに乗る。

津山線はタラコ色のヨンマルが走っている。こうゆう車両が田舎道を走ると様になる。

金川で津山行きを待っている間、さっきスーパーで買ったやつを食べた。

 

快速ことぶきの津山行きに乗り込んで津山の少し手前の駅である亀甲(かめのこう)まで行った。

 

亀甲は駅舎が亀の形をしていてユニークで面白い。

本物の亀だっている。亀が動いて「ピチャピチャ、カタカタ」と音が聴こえる。

 

ところで、亀甲という地名は無い。なぜ亀甲という名前の駅になったのだろうか。

それは、こうゆうエピソードが関係している。亀甲駅から少し歩いていくと、亀の形をした大きな岩がある。遥か昔、旅人がこの場所で行き倒れ、それを哀れに思った町の人がこの地に埋葬をした。すると、弘法大師の尊像を乗せた大きな岩が地面からせり上がってその形が亀に似ていることから亀甲岩と名づけられた。

 

亀甲を満喫した後、津山行きのディーゼルカーで津山まで抜け、姫新線に乗り換えて新見を目指した。この辺りの姫新線はおよそ2時間に1本程度だからしっかり時間を確認しておかないと大変なことになる。

 

車内は1両編成ともあってある程度の人が乗っている。そのうち高校生が半分くらいを占めている。

 

途中の中国勝山で多くの高校生が降りた。

津山ー新見間の途中駅ではここが1番大きい駅だろう。

 

2時間弱かかってようやく新見(にいみ)に着いた。新見で特急やくもに乗りたくなったので自由席特急券を買った。特急やくもに使われている車両は唯一の定期国鉄型特急で私が好きな車両である。自然振り子という機能が備っており、カーブで車体を傾けて高速化を図っている。

 

1時間足らずで倉敷に着いた。まだまだ乗っていたい気持ちでいっぱいだった。名残惜しく特急やくもを見送ると美観地区へ足を運んだ。

何回か来たことはあるが、夜に来たのは初めてである。人もまばらで実に優美だった。

 

橋の上で写真を撮っている人がいたので撮り方を教えてあげた。それから話が弾み、インスタで友達になった。京大生で私の1コ上らしい。

今は1週間程度自転車で旅をしているとのことだった。私も自転車は好きなので羨ましかった。

 

何度も言うが、旅をしていると思いがけない出会いがたくさんある。やっぱり旅は素晴らしい。そう感じた夜だった。
 

最長片道切符の旅(31日目)

 

9月5日(日)

 

香住の始発列車で2駅先の餘部(あまるべ)に向かった。この列車の運転士は偶然にも昨日話した運転士だった。トンネルを抜け、餘部橋梁を渡るとすぐに餘部に着いた。運転士に会釈をして気動車鳥取へと発車していった。

 

ところで、餘部橋梁は2代存在する。初代は赤い鉄橋で、「餘部鉄橋」と呼ばれ、多くの人に親しまれた。

初代は100年程の歴史があったが、安全性と定時性の確保を目的に架け替え工事が行われ、今の2代目の橋梁ができた。

 

餘部橋梁は日本海と立派な橋梁と列車を融合させた写真が撮れるスポットとして昔から人気を博している。

 

私もその写真が撮れるスポットまで登ってみたが、最高の眺めである。夏も良いが、日本海は冬が似合うので雪景色と絡めた写真も面白いだろう。

 

日本海を眺めながら昨日城崎温泉で買ったカニ寿司の駅弁を食べ、道の駅で香住カニバーガーを食べた。中々のお値段だったが、このような地方にお金を落とすのだから本望である。

 

約3時間半滞在して浜坂行きの気動車に乗った。浜坂から先の鳥取行きも気動車である。この区間はトンネルが多く、そのトンネルも古いので規格の問題で電化できないという。

 

鳥取で1時間と少しの待ち合わせの後、今度は因美線に乗って郡家で降りた。「こおげ」と読む。若桜鉄道が分岐している。

郡家で降りた理由はこのまま智頭に行っても智頭から先の列車がずいぶん先なので郡家の下車印を捺してもらおうと思ったからである。

 

郡家から智頭行きに1時間程揺られ、智頭からは津山行きに乗り換える。今日の目的地は姫路なのだが、智頭急行に乗るのが最短ルートで圧倒的に早く着く。しかし、私は日本一の遠回り切符を持っている。ここでショートカットするわけにはいかない。

 

津山の1駅手前の東津山姫新線に乗り換える。姫路と新見を結んでいるから頭文字を取って姫新線という名が付けられている。

 

ありきたりな田舎を突っ走って行くが、時折「必殺徐行」というものをする。

これは列車の速度を約25km/hに制限することで保守点検にかかる費用をケチるという荒技である。JR西日本の超ローカル線で主に見られる。

自転車を漕ぐスピードと変わらないので当然所要時間は大幅に延びる。

 

東津山から佐用までは約1時間だった。

そして、智頭を出てから佐用までは2時間かかった。智頭から智頭急行佐用まで行くと1時間もかからない。

つまり、1時間以上所要時間に差がある。

 

佐用からは姫路行きに乗って今日の目的地へと向かう。

車内は18時台とあってそれなりの乗車率だった。姫路に近づくにつれて立ち客もちらほらいた。

 

姫路では有名な駅そばを食べたいところだが、最近は野菜不足なのでコンビニでサラダを買って食べた。

最長片道切符の旅(30日目)

 

9月4日(土)

 

京都駅の新幹線中央改札口で鉄道好きな友人と待ち合わせをした。約束の6時半になると友人は現れ、一緒に新幹線の自由席特急券を買った。

 

6時55分発ののぞみで次の新大阪に向かった。新大阪からは30分待ち、こだまで西明石まで行った。使用車両はひかりレールスターの予定だったが、JR西日本保有する九州新幹線仕様の車両に急遽運用が変わった。

 

西明石で明石名物の「ひっぱりだこ飯」を買い、在来線でダウンタウンの聖地・尼崎まで来た。やはり新快速は速い。目を見張るようなスピードで京阪神を駆け抜ける。

 

尼崎からは福知山線で福知山まで着くと列車の本数が大幅に少なくなる。コロナの影響によって減便もされている。

 

友人と昼飯を食べたり、撮り鉄をして時間を潰した。

レアな車両も時々やって来て福知山は気に入った。

 

ずっと1人で旅してきたので友人がいると心強い。

その時ふとことわざが思い浮かんだ。

「旅は道連れ世は情け」

 

福知山で友人と別れ、豊岡行きに乗った。

私の地元路線・草津線で走っている113系という車両に乗った。草津線113系とは少し仕様が違っているが、モーターの音や揺れなどは懐かしさを感じる。100km /h近く出して、揺れは激しい。車窓を見ずに目隠しすれば草津線と思わず答えてしまうだろう。

 

豊岡では1時間程待ち時間がある。1時間では全然観光できない。豊岡はコウノトリ豊岡鞄が有名だが、また別の機会にゆっくり観光してみようと思う。

 

豊岡から先はタラコ色をした国鉄気動車が担当する。車内は学生が多かった。ちょいと走って城崎温泉に着いた。城崎温泉は昨年、開湯1300年を迎えた。とてつもなく歴史が長い。

 

あの某兵庫県議員が足繁く通った温泉なのだからきっと素晴らしい温泉なのだろう。

「この世の中を!この世の中ー(泣)!」

このフレーズで誰のことかはお分かり頂けただろう。

 

駅前からすでに街並みは風情がある。流石温泉地として名高い場所だなと思った。夕食はカニが食べたかった。駅からすぐの所にカニを食べれる店があったので入った。

今日は奮発してみようと思う。焼きがに特大を注文した。6000円もする。観光地価格だが、たらふくカニを食べられて値段のことなどどうでも良かった。

 

カニを食べた後はいよいよ温泉に入る。

本来は外湯巡りをするべきだが、城崎温泉で宿泊はしないため1ヶ所だけにした。私は「御所の湯」という温泉に入った。滝を眺めながらの露天風呂は趣があった。身体もポカポカになって浜坂行きの列車に乗った。

 

辺りは真っ暗で、たまに灯りがポツポツと見えている。国鉄気動車は車内の雰囲気や音は素晴らしく、ゆっくり走ったり、突然スピードを出したりして車窓は真っ暗で見えないのに楽しませてくれる。

これぞ鉄道旅というものである。

豊岡方面からの列車に乗っていたのはほとんど高校生で、皆香住で下車した。

私も今日の宿は香住にあるので下車した。

対向列車が数分間停まっていたので運転士に質問した。

「この車両は運転するのは難しいですか?」

「まぁ慣れだね。電車からこの気動車に来た人なら戸惑うかもしれないけど。」

 

駅から宿までは3分程だった。

宿のフロントの方と山陰本線のことについて少し話した。城崎温泉までは利用者がいるが、城崎温泉から先の浜坂方面は利用者がほとんどおらず、大半が高校生らしい。

この辺りも車社会なのだと実感させられる。

 

最長片道切符の旅(29日目)

 

9月3日(金)

 

下呂から猪谷行きに乗る。相変わらず車窓は最高である。よくこんな所に線路を敷いたものだと思う程際どい所を列車は往く。脱線すれば一巻の終わりだ。さぞかし難工事だっただろう。基本は崖を削って平面を作る。それでどうにもならない時は神通川の対岸へ渡る。それでもダメだとトンネルを掘る。このような区間を走り続け、猪谷に着いた。猪谷でJR東海管轄からJR西日本管轄に変わる。富山行きに乗り換えて富山平野をしばらく走ると終点の富山に到着した。

 

富山からは北陸新幹線で隣の新高岡まで少し移動した。城端線気動車が爆音を轟かせて発車していく光景を見た。駅弁屋があったので富山名物の「ますのすし」を買った。それから再び新幹線で金沢まで行き、特急しらさぎで一気に敦賀までワープした。進行方向左手には建設途中の北陸新幹線の高架がずっと見える。北陸新幹線の金沢ー敦賀間は2024年春に開業予定だ。個人的にはもう新幹線は作らなくても良い気がするが、これも時代の流れなのだろう。

 

確かに新幹線は速くて快適だ。しかし、負の部分も持ち合わせている。新幹線と平行する在来線は儲けが少なくなるため、JRから経営分離されてしまう。こうなるとJRと比べて運賃が高くなり、地域の足となる鉄道の利用者が減ってしまう。

 

敦賀では北陸新幹線の東京ー敦賀間が繋がるまであと940日という看板があった。

 

さて、敦賀に来たら外せない名物がある。それはヨーロッパ軒のソースカツ丼だ。過去に何回か食べてはいるが、何度食べても美味い。カリッとジューシーなカツとソースが上手くマッチングしている。これはぜひおすすめしたい。

 

敦賀からは小浜線で東舞鶴まで行った。

案外スピードを出し、揺れもそこそこあった。地元路線の草津線を少し思い出した。

東小浜で大量の高校生が乗ってきて一気に騒がしくなる。

今の時刻は15時台だからもう学校は終わったのだろう。

 

舞鶴からは鈍行を乗り継いで京都へ向かう予定を立てていたが、特急まいづるが10分後に出て、鈍行を乗り継ぐよりも2時間早く京都に着くもんだから急いで窓口で自由席特急券を購入した。特急まいづるは少し走って綾部に着くと、天橋立や福知山方面からやって来た特急はしだてと連結し、進行方向も変わった。その停車時間に下車印を捺してもらった。

 

景色の良い保津峡や観光地として名高い嵯峨嵐山を通り、綾部から1時間と少しして京都に着いた。

 

京都は何度も来ているため特に何も感想というものはない。

 

明日は友人と会う予定だから早く寝ようと思う。